「パラノイド パーク」 [映画(2008)]
こんな表現が適切なのか分からないのだが、純文学映画と呼ぶのが最もこの作品の雰囲気を伝えられる言葉のように思われる。無表情で感情の起伏が読み取り難い少年のある数日間の日常的な光景を淡々と描いた物語になっている。途中、少年は図らずも人を死なせてしまうのだが、映画は少年の行く末には大した興味が無いかのように、ドラマチックな盛り上げ方はせず、突き放したかのような視点で冷静に記録していく。刑事の取調べ、ガールフレンドとのセックスも少年はまるで植物のように表情を変えることなく黙々とこなす。ありふれた日常に起こった大きな出来事。孤独が身についたかのような少年のほんのちょっとした心の揺れだけがこの作品が表現しようとしたところではあるまいか。したがって唐突に思える終わり方にも驚くことは無い。この先、少年がどのような運命を辿ったかには創り手は興味を示さず、「今」を描く事だけがこの作品の目的である。この作品にドラマを求めるのは間違いであり、分かり難い心の動きを汲み取ろうとすれば興味深く観られた筈である。この作品は映画館で観るべき映画である。間違ってもDVDで鑑賞して早回しなどしたら決して作品の意図は伝わらない。何も邪魔の入らない環境で、少年の心と対峙することが唯一の正しい鑑賞法である。
(今回はこの作品に合わせて大衆に迎合しない書き方を試みてみました)
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