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歳末一掃セール?(「母なる証明」ほか) [映画(2009)]

せっかく観たのにこのブログで記事にしなかった(できなかった)作品が残っている。それが

『ボーダータウン 報道されない殺人者』

『THE CODE 暗号』

『天使の目、野獣の街』

『ボルト』

『3時10分、決断の時』

『母なる証明』

『銀色の雨』

『脳内ニューヨーク』

の8本。忙しくて記事を書く時間がなかった、文章が思い浮かばなかった、何となくほったらかしにした、など理由は夫々だが、2010年に持ち越すのもスッキリしないので、中でも印象に残った3本をピックアップして、簡単ながら記事として残しておきたい。

『天使の目、野獣の街』(ヤウ・ナイホイ監督)

香港のサスペンス映画。シドニー・ルメットみたいな内容ながら、良くも悪くもキャラクターの軽さに香港っぽさが垣間見える。でもなかなか見応えがあった。

『3時10分、決断のとき』(ジェームズ・マンゴールド監督)

名作西部劇のリメイクなのだが、オリジナルの『決断の3時10分』は未見。リメイク版も傑作だったのだが記事を書きそびれてしまった。ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベール、ピーター・フォンダら役者の良さが光った。

『母なる証明(ポン・ジュノ監督)

この作品はちゃんと記事にしたかったのだが、「面白かった」「感動した」「凄かった」と、幾つかの言葉を並べてみたが、どれも今ひとつしっくりこない。適切な言葉を探せぬまま記事にしそびれてしまったのだが、自分のボキャブラリーの貧困さに失望した。キム・ヘジャ、ウォンビンら役者の好演が印象に残るポン・ジュノ監督の傑作韓国映画。

来年こそはこんな滑り込み記事を書かなくて済みますように…(自分次第なのですが)

母なる証明.gif


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「釣りバカ日誌20 ファイナル」 [映画(2009)]

22年もの長きに渡って続いてきた『釣りバカ日誌』シリーズも20本目(番外編も含めれば22本目)で最終回を迎えた。1作目から共同で脚本を書いてきた山田洋次が、『男はつらいよ』ではしなかった長いシリーズの最終回でどう決着をつけるのかを観てみたかった。

思えばこのシリーズの1作目(1988年)を封切りで観ている。これは以前『男はつらいよ』の記事(→こちら)で書いているのだが、その頃寅さんフリークの友人Nに付き合わされて毎回欠かさず『男はつらいよ』に通っていて、『釣りバカ日誌』は寅さんの併映、つまり2本立てのおまけ作品のような位置づけとしてついでに観たのだった。しかし1作目は抜群に面白く、Nは椅子から転げ落ちながら笑っていた。僕は「そこまで面白いか?」と思ったのだが、併映の寅さんが今ひとつの出来だったことも手伝って、かなり好印象を持った。

それから何本かは寅さんとセットで観ていたのだが、渥美清が亡くなって寅さんは幕を閉じ、『釣りバカ』がメインになってからはずっと観ることはなくなっていた。疎遠になってから10年以上を経て久しぶりに観賞したのが2007年に公開された『釣りバカ日誌18』(→記事)。出演者がすっかり老け込んでおり、驚いたと同時に最終回が近いことは見てとれた。ハマちゃん(西田敏行)、スーさん(三國連太郎)をはじめレギュラーメンバーが体力的にキツそうに見えてしまい、特にハマちゃんの上司役の谷啓は相当辛そうで心配になってしまった。そこからさらに2年。マンガと違って役者は生身の人間なのだから、原作がまだ続いていようが、映画ではここでピリオドを打つのは当然の成り行きなのだろう。

『釣りバカ日誌20』であるが、前半はいつものパターン。しかし松坂慶子や吹石一恵らが華を添えているのにも関わらず暗いものを感じるのは「不景気」や「老化」が映画に影を落としているからで、『18』の時に心配になった谷啓は会社のシーンで姿すら現さず、観ているこちらとしては心を痛める一方になってしまった。

実は最終回と言えど「そんなに変ったこともなく何とな~く終わるのかな」と予想していたのだが、後半になって驚きの展開が待っていた。何とスーさんが危篤となってしまい、死後の世界に行ってしまうのであった。「そこまでやっちゃうの」と1作目以来のサプライズ。こんな終わらせ方をするのかと信じられない気持になったのだが、結末はこの作品が純正「松竹映画」であることを踏まえて想像していただきたい。

それにしても最後のカーテンコールを観ながら頭をよぎったのは、1作目で椅子から転げ落ちて笑っていたNのこと。君はこの最終回を観るのだろうか。君に誘われて1作目を観に行った僕が観たくらいだから、きっと君も観ることだろう。そして22年前のことをを思い出したついでに僕のことも思い出してくれるのだろうか…

釣りバカ日誌20.gif


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「Disney's クリスマス・キャロル」 [映画(2009)]

嘗てはあれほど新作が待ち遠しかったロバート・ゼメキス監督だが、最近ではすっかり疎遠になってしまった。何となく僕が観たいと思うゼメキス監督作品から遠ざかっていくような気がして寂しい限り。この『Disney's クリスマス・キャロル』もたまたま上映時間が都合に合っただけのことで、タイトルにあるディズニーの印象が強く、観始めて彼が監督していることに気が付いた次第。

『クリスマス・キャロル』は文豪チャールズ・ディケンズの名作の映画化。あまりにも有名な話なので物語の紹介は省く。このくらい世界的に知れ渡った物語を映画にするにはリスクを背負う行為に思える。新しい解釈で物語をいじっても、忠実に撮っても、どちらにしてもあまり評価されない結果になるのではなかろうか。こんな状況でゼメキス監督が選択したのは映像の凄さを見せつけることだった。

兎に角カメラが縦横無尽に動き回る。今まで劇映画では表現できなかったようなカメラワークを駆使して観る者を圧倒する。この作品を観ると、もう映像表現に不可能はないと思えるほど。監督の頭の中のイメージは全て具体化できてしまうのだろう。なので、この作品は映像で楽しむことができた。惜しむらくは僕が3Dで観なかったこと。3Dで観られたならもっと凄い映像を体験できたことだろうと思うと残念。機会があったらもう一度3Dで観直してみたいものだ。

映像の凄さは太鼓判を押せる一方、このような映像表現を可能にしたパフォーマンス・キャプチャーという手法に疑問も抱いた。俳優の動きをデータとして取り込んでからコンピュータを使ってうんちゃらかんちゃらしてから映像に起こす(超文系の脳味噌には理解の範疇を超えているのだが…)らしいが、残念ながら俳優は精気の抜かれた人形のように見えてしまい、何となく気味が悪い。あのバイタリティの塊のようなジム・キャリーですら躍動感が奪われてしまっている。映像を取れば役者が死ぬ、諸刃の剣のような手法であるように思われた。

イベント・ムービーとしての映像面は満足できたものの、ロバート・ゼメキス監督作品としてはいかがなものなのだろうか。今一度原点に戻ってほしいと願うのは無理な注文なのかなぁ。

クリスマスキャロル.gif


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「ジュリー&ジュリア」 [映画(2009)]

著名な料理研究家ジュリア・チャイルドが共著したベストセラー本『Mastering the Art of French Cooking』(要はフランス料理本)に掲載されている全524レシピを365日で作る、というコンセプトでブログを始めたジュリー・パウエル。このブログが注目され、後に本になりベストセラーとなる。映画『ジュリー&ジュリア』は彼女の本がベースとなり、才女ノーラ・エフロンがメガホンを握った作品。単なる料理ブロガーの奮戦記であれば映画にする程のものではなかったのかもしれないが、ジュリア・チャイルドの自伝を組み入れて、現代に生きるジュリーの話と1950年前後のパリに生きるジュリアの話を半々くらいのバランスで並行して描いたところがこの作品のミソになっている。

アメリカ通ではないのでジュリア・チャイルドは全く知らない人物であったのだが、とにかく彼女の明るさと前向きな人柄が映画全体のトーンになっていて、観ていて心地よい。彼女を演じているのがメリル・ストリープなのだが、思わず

そっくり!

と、本物のジュリア・チャイルドを知らない僕でも言いたくなってしまうくらいの名演だと思う。身長185センチの大柄で頭のてっぺんから出るような甲高い声。そんな個性的なジュリア・チャイルドが形態模写とは思えないくらいに生き生きとよみがえっている。ふと「これは演技なんだ」と思うとメリル・ストリープの凄味くらい感じさせるほどである。

もうひとりのヒロイン、ジュリー・パウエルを演じたのが最近よく見かけるエイミー・アダムス。彼女が多くの作品に起用されているのは嫌味のない普通っぽい魅力が受けるからだろうか。今回も平凡なニューヨーカーでどこにでもいそうな等身大的タイプ(実際はいないだろうけど)に好感を持てた。

こんな二人が演じたジュリーとジュリアのサクセスストーリーなので、安心してまったりと楽しめた。その一方、大きな出来事が起こる話ではないので、物語に起伏が少なく後半は少しダレた印象も受けた。とは言っても古き良きアメリカの雰囲気を持った好感度の高い作品なので、誰にでも気軽にお勧めしたい。

それにしても自分のブログを映画にしてくれるなんて夢のような話じゃない? 当ブログも誰か映画化してくれないかな(ってどこを?)。で、僕の役は豊川悦司にやってもらいたいなっ。何せそっくりなんだから(見えないからって言いたい放題)。

ジュリー&ジュリア.gif


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「ゼロの焦点」 [映画(2009)]

母親が松本清張のファンだったので、母に『ゼロの焦点』の単行本を借りて読んだのは大学生の頃だと記憶している。まだ年号は昭和だった。そんな以前に読んだ小説なので内容に関しては殆ど欠落している。「列車を使ったトリックがあったっけ」くらいで映画を観たのだが、そんな場面は登場する気配すらなく、僕が覚えていた内容は他の小説であったことが分かった(『点と線』かな?)。映画を観ていて「あぁ、そうだった」と思う場面はなかったので、『ゼロの焦点』は読んでいなかったってことだろう。単に忘れただけかもしれないけど、映画を楽しむならかえってその方が好都合であろう。

禎子(広末涼子)はお見合いで出会った鵜原憲一(西島秀俊)と結婚し新たな生活をスタートさせたが、憲一が引き継ぎのために前の勤務地である金沢に行ったきり戻って来ない。心配になった禎子は金沢に向かう。嘗ての夫の得意先の社長・室田(鹿賀丈史)、夫人(中谷美紀)、受付嬢(木村多江)らに接触し夫の行方を探るも消息は掴めない。そんな中、憲一の兄(杉本哲太)も金沢にやって来たが、どうも様子がおかしい。何かを隠しているのか、それとも…というのが物語の序盤。

推理物なのであまり詳しいことを書いてはなるまい。しかし残念なことに真犯人は早い段階で目星がついてしまう。これは推理物としての醍醐味を持たせず人間ドラマにスポットを当てる意図があったのか、それとも犬堂一心監督の力量だったのかは分からないが、あまり成功しているとは思えなかった。おまけに登場する人物たちがどうにも昭和30年代前半の人には見えてこない。物語の核心が時代背景と密接に関係しているだけに、これでは説得力が失われてしまう。せめて出演している男優は短髪にして後頭部は刈り上げるくらいの簡単なことでもすれば少しは雰囲気がでたような気がするのだが…(漢さん除く)。

もっとも作品が書かれた時代からは既に半世紀以上経っている。犯人の動機もその時代ならではなことであり、まだ生まれていなかった者からすると(これは一応言っておきたかった)、何となく理解はできても実感としてわいてこなかったことも事実。社会派と呼ばれた松本清張だけに、同時代性こそが作品を楽しむ旬なのではなかろうか。社会色の濃い作品はタイミングが外れると急激に色褪せて見える。それが真犯人の犯行動機なら尚更である。但し、さすがに原作は名作と呼ばれているだけあって、夫の過去の秘密が明らかになっていく過程は興味深く飽きさせないことは確か。しかし映画は原作の面白さを上回れなかったのが残念であった(なんて読んでもいないのにテキトーだよね)。

ゼロの焦点.gif


それにしても、この記事を実際に出演された方(漢さんこと江藤漢斉さん)が確実に読むはずだと思うとプレッシャーで、観賞後2週間以上経ってようやく思い切って書いてみた。漢さんは田舎町の駐在さんの役で(ですよね?)、デリカシーに欠ける行動が可笑しかった。作品全体が重苦しい雰囲気の中、唯一場内(札幌東宝公楽)の観客から笑いを取ったことをご報告しておきます。


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「カールじいさんの空飛ぶ家」 [映画(2009)]

泣けそうな映画だよなぁ

と予測していたので、いかにも観客の少なそうな日曜日の最終回というタイミングを狙って劇場へ。「これなら映画が終わってメソメソしていても、あまり他人から見られなくて済むので恥ずかしくないかも」という目論見は外れ、3Dメガネを受け取って場内に入ってみると超満員。さすがにCGアニメのピクサーが築き上げてきたブランド力は衰えを知らない人気ぶり。

妻エリーに先立たれ独りになってしまったカールじいさん。以前は閑静な住宅地だった住まいは、今では再開発のお陰で高層ビルに囲まれてしまい立ち退きを迫られている。いよいよカールじいさんが家を譲り、老人ホームに入らなくてはならなくなった日、家から無数の風船が現れ、家を持ち上げ空に浮かんだ。向かうはエリーと共に行くはずだった南米の秘境〈パラダイスの滝〉。しかし、最近カールじいさんに付きまとっていた少年ラッセルも知らぬ内に連れて来てしまっていた。そんな中、天候が一転、嵐の中に飲み込まれてしまった。激しく揺れる空飛ぶ家。果たしてカールじいさんとラッセルの運命は…ってお話。

物語を紹介してみると1行にも満たないことになってしまうのだが、冒頭で子供時代のカールとエリーの出会いのエピソードがあり、そこから結婚式から悲しい別れまでの二人の軌跡が台詞なしで丹念に描かれているのだが、愛情の深さや積み重ねた年月が画面から滲み出ており、これだけで

涙止まらん!

状態。まだ本筋前のプロローグでこれである。最後まで観たらいったいど~なっちゃうのと恐れおののいたのだが、意外なことに泣けるハイライトはここまで。本筋に入るとカールじいさんとラッセル少年(東洋人系)の冒険物語。もちろん亡くなったエリーの存在がカールじいさんのバックグラウンドにあるので、感動する場面も多々あり決して退屈はしないのだが、良過ぎて損することもあるもので、本来描きたかっただろう「老人が夢を実現するために冒険することで生きる元気を取り戻していく話」が前段に食われて霞んでしまった印象を受けた。

それにしてもヤモメのじいさんと東洋人系の少年の組み合わせは『グラントリノ』と全く同じ構図。まぁ、単なる偶然でど~でもいい話だけど…(と引いたところでおしまい)。

カールじいさんの空飛ぶ家.gif


タグ:ピクサー 3D
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「狼の死刑宣告」 [映画(2009)]

チャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』(1974年)がヒットした後、家族を殺された男の復讐劇は、低予算で単純な内容ながらヒットが見込めるため、それからしばらくB級映画の定番となり、いくつもの後追い作品を生み出した。しかし二番煎じがいつまでも通用するでもなし、最近ではすっかり影を潜めてしまったようだ(気づいていないだけかも?)。

この『狼の死刑宣告』の原作者は『狼よさらば』と同じブライアン・ガーフィールドで、予告編を観る限りではかなり似通った作品に思われた。しかし家族をならず者に殺されるのは共通しているものの、その後が『さらば』が犯罪者を片っ端から殺していくのに対して『死刑宣告』は特定のグループとの対立を描いている。『さらば』の主人公は次第に殺人に対して快感を覚えていくかのような歪んだ心理も垣間見えるのだが、『死刑宣告』はかたき討ちと家族を守るという単純な動機で主人公が戦うため、よりストレートな内容になっている。

ニック・ヒューム(ケビン・ベーコン)は妻(ケリー・プレストン)と息子2人の4人家族で不自由なく暮らす投資会社のサラリーマン。しかし将来を嘱望されている高校のアイスホッケー選手である長男を彼の目の前でギャング団に殺されてしまう。息子を直接殺した男は逮捕されたが、裁判による刑はせいぜい5年の禁固刑の見込み。息子の命に比べるとあまりにも軽く納得いかないニックは法廷で男を無罪にし、釈放された後に人気のない暗がりで自ら殺害した。しかしニックの姿は目撃されており、ギャング団に伝わってしまった。怒ったギャング団はニックを狙い始め、同時に彼の残った家族にも手を伸ばし始めた…というお話。

この主人公の行動には賛否が分かれると思う。気持ちは分かるけど法は法という考えもあるだろう。僕でも同じ状況になったらそうしたいと思うかもしれない。作り手は法の欠陥を告発し社会的な要素を取り入れつつも、結局暴力で解決しようとしたニックの行動が恨みの連鎖を引き起こし、さらに大きなものを失っていく様を描いている。こう書くと一見社会派っぽいのだが、監督のジェームス・ワンがいかにもB級映画っぽく撮っているので、観ている最中はそんなに深いところまで考えない(で済む)。

やっちまったもんはしょうがなかんべ

と、ギャング団から逃げまくって、最後はブチキレて…。

主人公のニックにケビン・ベーコン。シブイけど神経質っぽい雰囲気が映画の暗いトーンにマッチしていた。それにしても『ダイナー』や『フットルース』の頃からあまり印象が変わっていないと思うのは、元々老け顔だったってことなのかな?

狼の死刑宣告.gif


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「イングロリアス・バスターズ」 [映画(2009)]

基本的にクエンティン・タランティーノ監督の作品は「男の子映画」なんだと思う。もしも彼が漫画家だったら『少年ジャンプ』が似合いそうな作風ではなかろうか。したがって男子受けはするだろうけど、女子からは今ひとつ支持されない作家であるような気がする。もっとも女子でも少女漫画よりも少年漫画が好きだった人はいるだろうから、絶対ってことでもなかろうけど。

この『イングロリアス・バスターズ』はナチスに家族を皆殺しにされたユダヤ系フランス人のショシャナ(メラニー・ロラン)の復讐劇と、ナチスに占領されたフランスに乗り込んだアルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)率いる連合軍の秘密部隊〈イングロリアス・バスターズ〉が行うナチ狩り、これら二つのエピソードを並行して描き、最後の舞台になる映画館に集結していく構成になっている。

何かのインタビュー記事で読んだのだが、タランティーノ監督はこの映画を創った動機を「ナチスが嫌いだから」みたく語っていた。至って単純明快。ナチスのユダヤ人への虐待を背景にしているものの、そんな悲壮感はあまり感じられず、勧善懲悪の娯楽作品になっているのが監督の個性なのであろう。なので作品自体にそれ程の深みはないので、感想も

面白かった

の一言で済ませてしまおう。きっとタランティーノも「それでいい」と思ってくれることだろう。

それにしても悪役のナチス側の役者が良かった。知的で執念深く冷血漢な軍人たち。特に〈ユダヤハンター〉を演じたクリストフ・ヴァルツの厭らしさは特筆もの。他のみんなも感じ悪く好演しており物語を盛り上げてくれている。それに対するブラッド・ピットはアメリカ~ンな感じで対照的に描かれ、夫々の個性を際立たせている。こんな人物描写の巧みさと独特なセンスがタランティーノを単なるB級映画監督に思わせない秘訣であるようにも思えるのだが…。

イングロリアスバスターズ.gif


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「あの日、欲望の大地で」 [映画(2009)]

アメリカの廃れた田舎町に住む人々を描いた映画というと、ピーター・ボグダノヴィッチ監督の『ラストショー』が先ず思い浮かぶ。荒れた土地しかない退屈で空虚な風景と人の心。田舎を舞台にすると世界的には「田舎良いとこ」みたいなプラスイメージで描かれるケースが多いものだが、アメリカ映画の場合はどちらかと言えばマイナスイメージの方が強いような印象を持っている。この『あの日、欲望の大地で』もアメリカの田舎町に住む女と男、親と子を描いたマイナスイメージの強い作品である。

それにしても映画に流れる空気の重苦しいこと。お互いに伴侶と子がありながら、荒野の真ん中に置かれたトレーラーハウスで逢い引きを重ねる女(キム・ベイシンガー)と男(ブレット・カレン)。男の娘(ジェニファー・ローレンス)と女の息子(J・D・パルド)の許されざる恋。次々に相手を替えて肉体関係をもつ都会に住む女(シャーリーズ・セロン)。この3つのエピソード各々の登場人物が満たされない心の隙間を埋めるように相手を求めていく。時系列をバラバラにして描いてはいるものの、若い娘と都会で刹那的に生きる女が同一人物であることは予想がつく。映画では描かれなかったその空白の時にいったい何が起こったのか。

全編に漂う虚無感。出口の見えない息苦しさこそ今のアメリカ社会を象徴しているのではなかろうか。(…と、テキトーながら尤もらしい言葉で締めてみた)

あの日欲望の大地で.gif


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「風が強く吹いている」 [映画(2009)]

ここ数年、正月はいつもゴロゴロとだらけきった寝正月。気が抜けた日が続く中、モニターの中で真剣に東海道をひたすら走る若者たち。正月休みの間で箱根駅伝が唯一楽しみなテレビ番組。栄光と挫折、笑顔と涙のドラマをソファに横になって眺める。朝から酒を飲んでいたりするので時々うつらうつら…。ランナーたちが権太坂を上っていたと思ったら、気がつけば富士屋ホテル前を通過していたなんてのもよくあること。そんな箱根駅伝を目指す若者たちの姿を描いたのが、この『風が強く吹いている』である。

大学で野宿していたカケル(林遣都)はハイジ(小出恵介)によってボロアパートだが格安でおまけに賄い付きな竹青荘に連れて来られ入居するようになった。しかしそこは陸上部の寮であることを後から知り騙されたと思うカケルをよそに、リーダーのハイジは陸上部員10名で箱根駅伝を目指すと宣言する。カケルはだらけきった他の部員の様子を見て無謀だと思う他なかった。おまけにまともなコーチや監督のいない、全く実績のない寛政大学陸上部。箱根駅伝に参加することは夢のようなことに思えたが、ハイジの指導のもとで次第に部員たちは力をつけていき…ってお話。

スポーツを扱った映画が良くなるか否かは、監督や脚本家そして役者がその競技にどれだけ真剣に取り組んだかで差がはっきり出るもの。これはスポーツに限ったことではないが対象にどれだけ深い取材や練習をしたかが、作品の奥行きの深さや説得力に直結する(その最悪な例がこちら→ここクリック)。その点『風が強く吹いている』は見事だった。出演者たちは長距離ランナーの選手として説得力があった。特に林遣都の走る姿は美しく、チームのエースランナーと呼ぶに相応しい立派な存在感があった。

実はこの映画は「若いイケメン俳優を集めただけの観る価値のない作品」という先入観しかなかったのだが、観た人の評価が高い様子だったので(特にnexus_6さんのレビューが観るきっかけになった→こちら)気持が変わった。日テレの協力が大きかったのだろうか、駅伝の様子はかなりリアルで臨場感抜群。映画的に考えると、ハイジとカケル以外のメンバー各々のエピソードが不足気味で今一つキャラクターに魅力がなかったとか、マドンナ的な存在の女の子(水沢エレナ)や監督だが実は寮の大家(津川雅彦)との関わりが希薄なために、その存在が活かされていないなどの不満はあるものの、それを補って余りある良さがこの作品にはあった。学生駅伝のひたむきさをそのまま映画に移したような作品。多くの人に爽やかな感動を与えてくれる良作になっている。

風が強く吹いている.gif

ちなみに来年の正月も不謹慎な態度で箱根駅伝をテレビ観戦すると思う。


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