「ジュリエットからの手紙」 [映画(2011)]
たまに男性と女性の感性の差を痛感する作品に出くわすことがある。早い話が、この『ジュリエットからの手紙』はそんな映画であった。
婚約者との婚前旅行でイタリアのヴェローナに降り立ったソフィ(アマンダ・セイフライド)。彼女は『ニューヨーカー』誌の事実調査員をしているが、本当はライターになりたいと思っている。婚約者のヴィクター(ガエル・ガルシア・ベルナル)は経営するイタリアレストランの開店間際で、頭の中は仕事のことでいっぱい。イタリアに来た目的は食材やワインの調達で、ソフィのことは二の次。ソフィはヴィクターと別行動で「ジュリエットの家」を見物に出かけた。ここを訪れる観光客(主に女性)の多くがジュリエット宛てに手紙を残していく。その光景を眺めていると、やがて手紙を回収する女性が現れた。その女性の後を追うと、ある建物の中に。そこはジュリエットの代筆をする女性たちの仕事場であった。興味を持ったソフィは彼女らのお手伝いをすることになった。偶然見つけた50年前の手紙に返事を書いたソフィ。数日後、その手紙の主であるクレア(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)が孫のチャーリー(クリストファー・イーガン)と共にイギリスからやって来た…ってなお話。
正直なところ「ちょっといい話ではあるが、いささかご都合主義が鼻につくなぁ」なんて思いながら観ていたのだが、ふと気がつくと僕の視界に入る女性の観客全員が涙を拭っているではないか。おまけに後方からも女性の鼻を啜っている声が聞こえる。
な、な、なに、この温度差…
その光景を見て、初めて『ジュリエットからの手紙』が「泣ける映画」だってことに気がついた。こちとらよもや泣けるなんて思いもしなかったので驚いてしまった。「いろんなことが登場人物たちにとって都合良過ぎるんじゃないの」なんて醒めて観ていたのは僕だけだったようだ(ちなみに男の観客はごく僅かで、席が離れていたので様子は分からなかった)。あゝ、なんという感性の差よ…
…ってことで、この記事を読んでくれている女性の皆さんは、僕の感想は当てになりません。とにかく「泣ける」らしいです、ハイ。
それにしても、フランコ・ネロを久々に見たなぁ。相変わらず濃いぃおっちゃん…
「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」 [映画(2011)]
「SUPER 8/スーパーエイト」 [映画(2011)]
ほとんど予備知識なく観た『SUPER 8/スーパーエイト』。予告編ではどうやらSFらしいこと、製作をスティーブン・スピルバーグがしていること。タイトルのスーパー8は8ミリフイルムのこと…くらい。「今時8ミリで映画を創っているなんて珍しいな」と思っていたが、ザ・ナックの『マイ・シャローナ』やブロンディの『ハート・オブ・グラス』が流れてきて、1980年前後(正確な設定は1979年なんだとか)であることが分かる。
なんだ、主人公が同世代の映画かよ…
と、嬉しくなる。アメリカの小さな町が舞台なのだが、丁度同じ時代に太平洋を隔てた日本の片隅で僕もこの映画の主人公同様、友人らと8ミリ映画を創っていた。劇中、男たちだけで映画を創っていたところに可愛い女の子が現れてテンション上がる、なんてこちらにもあった話。何せ女の子が8ミリ映画に参加してくれるなんて貴重だったのだ。だから女の子を(騙して)連れてきた男はそれだけでもヒーローだったんである。この『スーパーエイト』を観ながら頷くこと多数。もうこうなったら自分のドラマを観ているような感覚になってしまう。
物語は…母親を事故で失ったばかりの少年ジョー(ジョエル・コートニー)は喪失感を埋めるように近所の仲間たちと8ミリ映画を創ることに熱中していた。男ばかりのグループだが、物語上、女性の出演者が必要になっていた。そんな中、監督のチャールズが美人のアリス(エル・ファニング)を引っ張り込むことに成功。意気上がるみんなは早速夜の駅でロケを開始。そこに貨物列車が走って来た。列車を写し込もうとカメラを回し始めたところ、一台の乗用車が列車と衝突し大事故となった。ジョーの父で保安官補のジャック(カイル・チャンドラー)が事故を調べる内、列車は空軍のもので、何やら秘密のものを運んでいたらしいことが分かってきて…ってな感じ。
ぶっちゃけて言えばモンスター映画なんである。そこに製作者のスティーブン・スピルバーグ作品『未知との遭遇』的な要素も加わっているSFファンタジー作品。
でも監督のJ.J.エイブラムスが一番描きたかったのはそこじゃなかったはず。この作品は少年が困難を乗り越えて成長していく物語。母の死、父親との確執、仲間たちとのことは、すべてジョーの行く手を阻む壁であり、それを乗り越えていく様こそ、この作品の肝である。したがってモンスターもその壁のひとつであり、描き方もやや大雑把な印象で、そっちを期待して観ると期待外れの印象になってしまうかもしれない。J.J.監督は時代をすこし前に戻し、自身の体験に重ね合わせることで思い入れたっぷりの映画に仕上げた。そんな監督の愛着がスクリーンから伝わってきて、思わずホロリとさせられた。まぁ、こうなっては「好き」としか言いようがない。もう一度観たい作品である。
それにしてもジョーみたく出演した女の子といい仲になるなんてことは一度もなかったなぁ。そこがちょっと悔しい…
「ロシアン・ルーレット」 [映画(2011)]
当記事を書くにあたって、この『ロシアン・ルーレット』のオリジナル、同じゲラ・バブルアニ監督の『13/ザメッティ』の記事(→こちら)を読み返してみた(つまりこの作品は監督のセルフリメイクってことです)。なんたって、どんなことを書いたかすっかり忘れていたので、一応参考までにと考えてのこと。で、読んでみたら…
丹下さんとだいたい同じ意見
と思ってしまった。昔の自分に同感してしまった馬鹿な俺(ホントに…)。物語は記憶によればほぼ同じ(全くかも?)。オリジナルのフランス版とアメリカ版の大きな違いは白黒からカラーになり、無名俳優(僕が知らないだけかも?)からジェイソン・ステイサム、ミッキー・ローク、サム・ライリーら有名俳優に変わったところ。はっきり言ってアメリカ版はアンダーグラウンドな「ヤバさ」みたいなものがいささか損なわれた印象。まぁ、前作の記事で白黒にしたことをちょっぴり皮肉っているくせに、カラーにしたらしたで「前の方が…」と思ってしまうテキトーな俺。
まぁ、後は『13/ザメッティ』の記事を読んでください(←超手抜き記事ですいません)
「マイ・バック・ページ」 [映画(2011)]
最近よく見かける近過去モノ。この『マイ・バック・ページ』の舞台は1970年前後。アポロの月面着陸や万博、三島由紀夫の割腹自殺等々、話題に事欠かなかった時代。一方、学生運動も盛んで、暴徒化する若者によって国内は騒然としていた…はず。僕はこの時にはもう生まれていたけど、怪獣に夢中なガキだったので世間がどうだったのかはあまり覚えていない。ただ、デモ行進はよく見かけた…ような気がする。その頃の東京都知事は社会党(現・社民党)を支持基盤としたマルクス経済学者の美濃部亮吉氏。特に都市部では左翼的な傾向にあった…そんな時代だってことを踏まえないと、なかなか映画世界を理解できないかもしれない。
1969年の安田講堂陥落により、学生たちの全共闘運動も下火になりつつあった。東都新聞社、雑誌部門の編集者である沢田(妻夫木聡)は母校・東大でおきたこの事件を外から見守るしかできなかったことを悔やみながら暮らしていた。そんな中、取材で新進の活動家・梅山(松山ケンイチ)に出会う。梅山に胡散臭さを感じながらも次第に共感していく沢田。そんな沢田に転機が。一般的な『週刊東都』から左翼的な雑誌である『東都ジャーナル』へと異動になった。しかし左翼雑誌の先頭を走っていた同誌も勢いを失いつつあった。一方、梅山は革命家として名を上げるために沢田を利用しようと考え…ってなお話。
この時代をかすっているので、懐かしい感覚もあって割と楽しめた。でも、もし知らなかったら置いていかれたかもしれない、って映画。この後10年くらい経って映画雑誌など読み始めたのだが、その頃の映画批評家に全学連崩れみたいな人が多数いた。そんな批評家は政治的な視点ばかり強調しており、作品の良し悪しという点では全く参考にならならず、はっきり言って時代遅れのウザい連中だと感じていたことも併せて思い出した。この作品の原作者である川本三郎もそんな中で映画評論を書いていたのだが、それ程政治的ではなく、かと言って全くない訳じゃないって感じの微妙な人だったという認識であった。でも、今この時代に、何でこの作品を世に出したのか。監督の山下敦弘は現代の観客に何を伝えたかったのかがよく分からなかった。
それにしてもこの作品の登場人物の多くがタバコをバカスカ吸うもんだから、観ている内に愛煙家のこちらもタバコが吸いたくなり、早く映画が終わらないかと思う始末。もしかしたら映画の中で費やされたタバコの本数の新記録だったのでは…?
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」 [映画(2011)]
流行に疎い僕でも、この長ったらしいタイトルの本がベストセラーになったことくらいは知っている。ビジネス書のコーナーにあって、あの萌系な表紙。思わず手にとって…ってこともなく未読のまま。さらにと言うか当然と言うか、ドラッカーの『マネジメント』も読んでない。だから映画を観れば手っ取り早く内容が把握できるし、おまけにドラッカーの『マネジメント』まで分かって一石二鳥、と都合よく考えながら観賞した。
川島みなみ(前田敦子)は病気で入院中の親友(川口春奈)の代わりに程久保高校野球部のマネージャーをすることになった。が、やる気のない部員たち(瀬戸康史ら)、部員に遠慮して指示を出さない監督(大泉洋)、大人しいもうひとりのマネージャー(峯岸みなみ)と、野球部の現状は厳しく、実力も惨憺たるもの。みなみはマネージャーとして部を支えるために入門書を求めて本屋へ。店員(石塚英彦)の勧めで購入した本はドラッカーの『マネジメント』。家に帰って読み始めると本は経営者のために書かれたものであることが分かった。がっかりしたみなみであったが、読み進めるとなかなか参考になることが書いてある。感銘を受けたみなみはこの本の教えに従って野球部を立て直すことを決意する。はたして野球部は強くなるのか、そして甲子園に行くことができるのか…ってなお話。
これは原作の功績なんだろうけど、ドラッカーの理論を高校野球部で具体的に説明したことはとても分かりやすく面白かったのだが、ドラマの内容自体は案外凡庸。特に難病物にしたところが嫌。物語を無理矢理感動させるために難病を持ちだしたところが安直であざとい。野球部だってあまりにも急に強くなり過ぎて現実味に欠ける。
しかし現実味のない話に説得力を持たせてこそ演出の腕の見せ所なんだろうけど、この作品の場合は絵空事に留まった。これは演出の他に役者にも問題がある。とにかく野球部の部員たちが高校球児には全く見えない。人気とかで役者を選んでいるのだろうけど、そんなものに囚われずに野球の出来る役者を優先して選ぶべきではなかったか。おまけに部員たちの容姿はそこいらのお洒落なお兄ちゃん。今でも街で見かける高校球児は坊主頭にしているけど、この作品の部員は美容院でセットしたかのような髪型(遊撃手の男の子なんて最悪)。野球が下手ならせめて形くらいはそれっぽく見せてくれよと言いたい。別に役のために20キロ以上太れとか、奥歯を抜いて容姿を変えろとか言ってる訳じゃなく、床屋でバリカンかける程度のことである。結局、この映画に賭ける気持ちは軽いってことなんだろう。そんなひたむきさが感じられない態度に腹が立つ。監督は『マネジメント』の理論を映画創りにも活かしてほしかった。
個人的には初めて前田敦子の名前と顔が一致したことが、この映画を観た最大の収穫であった。これでAKB48のメンバーで覚えたの3人目。いや、峯岸みなみも分かったから4人。遂にオイラもAKB通になってきた…かな?
「岳-ガク-」 [映画(2011)]
以前、僕が勤めている会社に山登りのサークルがあった。メンバーは僕よりひと回り以上年齢が上の人たちが大半で、一緒にどうかと誘われたことがあったが、ずぼらでゴロゴロしてるのが好きなインドア派としてはあっさり断っていた。そんなある日、どうしたことか会社でも1、2を争う美人で20代のN嬢がそのサークルに参加して山を登ることになった。色めきたった男たちは急遽何人もその山登りに参加することを表明。その中に僕と親しい、おおよそ山登りには向きそうにない超ポッチャリ系のSもいた。Sは一緒に四国へ旅行した際、階段を上るのが嫌で金比羅に行くことを拒否し、スケジュールを変えさせたことがあったくらいの人物なのに、それより大変な登山なんてあり得ない。笑止千万。まぁ、不純な動機で参加することは明白であり、事の顛末を見届けたい気持ちもあったが、結局僕は家でゴロゴロしながらSの恋が実ることを祈ることにした。果たしてこの恋の結末は…
いきなり脱線したが、僕の会社の男たちのような不純な気持ちで山を登る人たちとは程遠い、純粋に山を愛する人々を描いた映画『岳-ガク-』を観た。この作品のように何か特別なものを扱った作品は、そのものの魅力を観客に伝えることができるかがポイントになるのではないか。この『岳-ガク-』ならば山の魅力を僕のように興味のない者にでも「登山してみたい」と思わせられるかどうか。毎冬ニュースで報道される雪山登山事故を「なんでわざわざ危ないことをするのだろうか」と不思議に思う気持ちを変えられるか。そんなところがポイントのように思えたのだが…
長野県警の山岳救助隊に配属された椎名久美(長澤まさみ)はボランティアで救助をしている隊長(佐々木蔵之介)の知人の島崎三歩(小栗旬)の存在を知る。三歩は誰よりも山のことを熟知した登山家で、多くの人命を救ってきた。そんな三歩に興味を持った久美は彼に山のことを教えてもらおうと接近する。そんな中、子供を置いて山に登った父親が帰ってこない事件が起こる。崖の下に転落した父親を三歩が発見するも絶命してしまい…ってなお話。
山岳救助の話である一方、山を愛する大勢の人々が怪我をしたり、命を落としたりする映画なんである。そんなリスクを背負っても人は山に登りたいのか…ってな疑問は疑問のまま。せめて雪のない季節にすりゃいいのにと思えるのだが、この辺が登山する人としない人との決定的な差なのかもしれない。ま、ずぼらな人間はずぼらにしか生きられないことを再確認したってのが結論である。
最後に冒頭に書いたSのその後にも触れておきたい。実はSの参加したグループは山で濃霧に囲まれて遭難寸前までの状況に追い込まれた。そんな極限状態で燃え上がった恋の炎。Sは見事、彼女のハートを射止め…られれば良かったが、そんな筋書き通りの展開はなかった。翌年、彼女は登山に参加しなかった同僚と結ばれた。
まぁ、そんなモンすよね…
「ブリット」〈午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本〉 [映画(2011)]
『ブリット』を観たのは中学生の時以来。実は当時はあまり面白いとは思えなかった。アクションは見どころあるけど、お話としては大したことないって印象だった。なのに今回わざわざ朝っぱらから観に行ったのは、わが思春期のミューズ、ジャクリーン・ビセットに大スクリーンで再会したかったからと、もしかしたら今の自分なら違った印象を受けるのではないかという予感があったからである。
監督はピーター・イェーツ。このブログで紹介するのは『ヤング・ジェネレーション』に次いで2本目になる。知らない人は名監督と勘違いするかもしれないが、この2本以外は凡作の山を築いた多作な監督であり、監督として評価されることは滅多にない。作品をを絞ってじっくり取り組めばもっと素晴らしい映画を多数生み出せたのではないかと思えるのだが、残念ながらお手軽な職業監督という評価しかできない人である。
マフィアを追い詰めるための証人の護衛を依頼されたサンフランシスコ警察の刑事ブリット(スティーヴ・マックィーン)は、部下に任せている間に殺し屋によって証人が撃たれてしまい重体となってしまった。犯行現場を調べると証人が部屋の鍵を開けて殺し屋を迎え入れた様子。重体だった証人は死亡したが、その死を隠して事件の謎を追い始めた…というお話。
これが…
すんごく面白かった!
やっぱりガキの頃の印象なんてあてにならない。台詞が極端に少なく、説明的なものが排除された内容をちゃんと理解できなかったとしか思えない。まぁ、要するにバカだったんである。有名なカーチェイスのシーン以外にも空港の滑走路でのアクションは凄かった。とんでもなく危険な撮影だったと思え、今ならCGを使いそうな場面であるが、マックィーン自ら命懸けのアクションに挑んでいる。お目当てのジャクリーン・ビセットも美しく、かなり満足度の高い作品であった。
これを機に、子供の頃に観た作品をもう一度観直してみようかと思う。退屈だった作品が素晴らしいものに思えるかもしれない。もっともその逆も間違いなくあるんだけどね…
←似てない…
「阪急電車 片道15分の奇跡」 [映画(2011)]
以前、関西出身の友人Oから「阪急電車って何であんな色してるか知ってる?」と問いかけられたことがあった。こちとら関西に住んだことがないし、鉄ちゃんでもないので当然知らなかったのだが、Oが言うには阪急電車のチョコレート色は…
あの色の塗料が一番安いから
なんだとか。いかにも関西らしい話だなぁと感心し、後日、会社の同僚で芦屋出身のU嬢にこのうんちくを自慢げに語ってみたら真っ向から否定されてしまった。彼女の主張は
阪急に限ってそんなわけない
ってニュアンスであった。そのやり取りをOに話したところ
みんな騙されてるだけ
と、こちらも一歩も引かない。個人的にはOの説が正しい方が話としては面白いと思うのだが、真偽のほどは分からない。とりあえず関西人にとって阪急ブランドの評価の高さを初めて知った。これは関西に住んだことがないとなかなか分からない。むしろ野球のお陰で阪神電鉄の方がメジャーなくらいである。まぁ、同時に阪神ブランドの評価の低さも分かったりして。
で、安い塗料で日夜走る阪急電車の今津線を舞台にした映画『阪急電車 片道15分の奇跡』を観たのだが…
基本的にこの作品は物語の柱が一本通ったものではない。阪急今津線を利用する数名のエピソード集である。それは、婚約者を後輩に奪われ仕返しをしようとする女性(中谷美紀)、同棲相手のDVに遭いながらも別れられない女性(戸田恵梨香)、おばさん連中にいやいや付き合っている主婦(南果歩)、浮いた存在になってしまった大学生(谷村美月、勝地涼)、入学できそうにない憧れの大学進学を諦められない高校生(有村架純)らが電車に乗り降りする。多くのエピソードが詰め込まれているので、散漫な印象になりそうなところだが、主要人物の中では一番物語のない孫(芦田愛菜)を連れた老婦人(宮本信子)が、多くの登場人物と接触し、啓示を与える要のような役割を担っており、各々のエピソードを繋ぎ映画に統一感を与えている。
夫々のエピソードは決して際立ったものではないのだが、観賞後の清涼感は宮本信子の正論を述べる凛とした老婦人に依るところが大きかった。混迷の時代だからこそ、このような人物像が尚更爽やかに映る。脚本の巧みさと的確な演出もあり気持ちよく劇場を後にできる作品であった。
それにしても阪急電車の色についての話はでてこなかったなぁ…って、当たり前か…