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「硫黄島からの手紙」 [映画(2006)]

凄い映画だった。上映後もしばらく席から立てなかった。『ミリオンダラー・ベイビー』の時もそうだったが、イーストウッド監督作品を観た後はこうなる事が多い。

戦闘シーンのビジュアル的な部分は、対となるもう一本『父親たちの星条旗』の方が凄いのだが、テーマ的な部分はこの『硫黄島からの手紙』の方が遥に深く重い。逆に言えば戦闘シーンは前作の方で観てもらえればいい、ということなのかもしれない。こちらではより人間の本質に迫ったものを打ち出している。

ストーリーは前作よりもずっとシンプル。第二次世界大戦で重要な拠点となった硫黄島の攻防を日本軍側から描いている。これを硫黄島での最高責任者であった栗林忠道陸軍中将を中心に据えて、日本軍が如何に戦い、敗れたのかを描いている。ここで素晴らしかったのは、栗林中将一人からではなく、立場的には全く反対のダメな(たぶん)二等兵・西郷というもう一人の主役を置いたところである。上官だけの視点であれば単なる戦記ものになりやすいが、一兵卒の視点も置くことによって人間ドラマが浮き上がり感動できるドラマとなる。逆に一兵卒だけの視点では情に流されやすく、お涙頂戴となりがちであるが、上官の視点を置くことで日本軍がいかなる戦術を使い戦い抜いたのかが分かる。また、イーストウッドが描きたかった栗林中将の卓越した人物像にも深みが増すことになった。

この二部作で一番重要と思えた場面が、アメリカ人捕虜が亡くなり、栗林中将の唯一の理解者である西中佐が、その捕虜が持っていた彼の母からの手紙を、その場にいた日本兵の前で読み上げたシーンであろう。今まで鬼畜と教えられてきた敵国の人間が、自分が貰う母からの身を案じる愛情のこもった手紙を肌身離さず持っていたことで、そのアメリカ兵が自分らと何ら変わらない人間であることに気づき、自分自身を敵兵に重ね合わせてしまう。そこで兵士としてのアイデンティティーが揺らぎ命の大切さを知る。この兵士が前作の戦死、あるいは行方不明になった若きアメリカ兵士とだぶり、戦争がいかに悲劇であり無益なものであるかが表現されている。

それにしても、『父親たちの星条旗』を先に観てから本作を観るという順番で良かったと思える。逆に観た場合、アメリカ軍が上陸し、姿の見えない日本兵を火炎放射器などを使って駆逐していく場面で、姿の見えなかった日本兵が、本作を観た後では見えてしまい、あまりにも凄惨であり、観るに耐えなかったかもしれない。いや、それこそが戦争なのかもしれないのだが、やわな現代人にはこの順番で良かったのだと思う。

本作に出演した日本人の俳優は皆素晴らしかった。渡辺謙は勿論なのだが、実は始めてみた二宮和也も本当に好演している。そして今まで何度も観たが一度も良かったと思ったことがなかった伊原剛志が素晴らしかった。当時としては珍しい垢抜けた西という人物にリアリティが感じられ、この映画での意外なキーパーソンになっていた。そして、日本語が分からないにも関わらず、これだけ日本人俳優の素晴らしさを引き出したクリント・イーストウッドは本当に凄く、驚嘆に値する。

今年最後に観た映画であったが、間違いなく今年のナンバーワン映画である。


 

以下余談(ジャニーズファンお断り

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「007 カジノ・ロワイヤル」 [映画(2006)]

「007/カジノ・ロワイヤル」オリジナル・サウンドトラック 「007」シリーズを観たのはいったいいつ以来か。多分ロジャー・ムーアが月にいった『007 ムーンレイカー』が最後だったのではなかろうか。したがってその後の2人のボンドは観ていない。今回はなかなか評判が良い様子なので久々に観たいと思ったのだ。トム・クルーズなんかと違う、渋い大人のアクションを見せてくれ!

いきなり白黒のMGMとコロンビアの会社のマーク。

「あれ、いつからユナイトじゃなくなったの?」

なんてボケかましてるうちに、まだ「00」のコードネームを貰う前の若きジェームス・ボンド(ダニエル・クレイグ)登場。2人を殺せばコードネームが貰えることになっており、その2人目を射殺したところで、例の銃口の中にいるお馴染みのオープニング。でも何か違う。タイトルバックもシリーズを踏襲した感じにはなっているものの、どこかしっくりこない。

「あれ、何かが違う…」

そのちょっとした違和感は最後まで拭えない。良くも悪くもマンネリを避けている様子。話も007になったばかりの若きボンドの冒険談なので、とにかくミスしまくり、裏切られまくり。おまけにM(ジュディ・デンチ)は女性だし。まぁ、それが悪いとは言わないが、何となくオールドファンには違和感が付き纏う。そしてその一番の原因は、恐らく何時も使われてきた、ジョン・バリーのテーマ曲がなかったためではないか。やはりズンチャカチャチャ~チャチャチャ、ズンチャカチャチャ~チャチャチャがないとしっくりこない。似せた曲はあったが、それならオリジナルを使ってもらいたかった。

話自体は確かに面白く出来ている。でもどこかで「007シリーズの最高傑作」って書いてあった気がしたけど、それは違うと思う。やはりショーン・コネリー主演の初期の作品が…なんて言ったら笑われるかな?

でも、これが『MI』シリーズの新作って言っても通用するような気が…。


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「大奥」 [映画(2006)]

実は『硫黄島からの手紙』を新宿ミラノ座に観に行ったのだが、劇場に近づくと若い女性がわんさかいた。嫌な予感的中で、『鉄コン筋クリート』の初日で舞台挨拶でもあった様子。ミラノ座のメインの大スクリーンは『鉄コン』に奪われ、『硫黄島』は地下の劇場に追いやられていた。なんか気に入らず、『硫黄島』を取りやめ『大奥』を観ることにした。余談だが『父親たちの星条旗』もミラノ座に観に行ったらメイン劇場は『手紙』で、やはり地下の劇場に追いやられていたのが気に入らず、他の映画にしたのだった。どうもミラノ座とは相性が悪い。

では何故『大奥』だったのかと言うと…特に理由はない。たまには時代劇でも観よっかな~って程度。では何故『武士の一分』じゃないのと突っ込まれそうだが、キムタクよか華やかな御姉ちゃんたちに惹かれただけ。はっきり言って期待薄であった。

で、まぁ映画なんだけど、『大奥』は『大奥』。それ以上でも以下でもない。以前ちらっと観たテレビシリーズよりもドロドロしてない印象。でもスカッとしない。時代劇って往々にして勧善懲悪だったりするが、この映画は特にそんなこともなく、ただ天英院(高島礼子…ハマリ役)らにいじめられて耐えるのみ。立場逆転するカタルシスはない。勧善懲悪なんて古いパターンだが、このパターンを踏襲してくれないと観てるこちらの気が晴れないことも事実。ただ時代に翻弄された女性が耐え忍ぶだけじゃね。

それにしても役者は結構ハマッてた人が多かった。高島礼子を筆頭に杉田かおるのいやらしい感じや井川遥の大人しくポ~っとした側室(いじめられ役)、及川ミッチーの能役者あがりの側用人やその地位を狙う岸谷五朗などなど。みんなそれっぽく面白かった。後は脚本と演出さえ良ければ…。


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「デート・ウィズ・ドリュー」 [映画(2006)]

「30日間でドリュー・バリモアとデートを実現する」だけのために撮られた映画。普通ドキュメンタリーって「社会を告発する」とか「厳しい現実を見つめる」など、いわゆる問題作となるケースが多い。マイケル・ムーアの映画などはその典型。でもこの作品はそんな志の高さなんてかけらも無く、ただ自分の私利私欲のためだけに作られたゆる~いドキュメンタリー。

この映画の監督兼主役のブライアン・ハースリンガーは6歳の時に『E.T. 』を観て以来、ドリュー・バリモアの大ファン。そんなブライアン君は現在失業中で生活は苦しいが、テレビのクイズ番組に出場し、見事1,100ドルをゲット。その時の最終問題の答えが何と「ドリュー・バリモア」。運命的なものを感じたブライアン君は、賞金を生活費の足しにするのではなく、全額を投じて映画を創る事を決意。内容は大ファンのドリュー・バリモアとデートするまでの自分の姿を追ったドキュメンタリー。早速量販店に行き、ビデオカメラをおためし期間の30日間借りることにした。かくして映画の撮影スタートと同時にカメラ返却までの30日間というタイムリミットも決まった。

…てな感じで、この映画を創った動機なんかこの程度である。殆どシロートのお遊び感覚に近い。しかしブライアン君は大学で映画を専攻しており、失業中とはいえ一応マスコミ業界の人(はしくれ程度?)なので、単なるシロートの作品ではなく、実に計算されたしたたかさを感じる。また、このブライアン君のキャラが、愛嬌のあるへらへらした感じで憎めない印象なのもイイ。

カメラを手にしたブライアン君、何を思ったかいきなり街頭の人をつかまえて「僕、ドリュー・バリモアとデートしたいんだけど、どう思う?」と無意味なインタビューを始める。でもそのインタビューされた人達の反応がいかにもアメリカ人っぽくて面白い。殆どの人が「きっと上手くいくと思うよ」とか「あなたはドリューのタイプな顔してるから成功するわ」とか、実に前向きなコメントが返ってくる。まぁ、いい加減に答えている節があるがポジティブな意見である。日本人なら「無理に決まってるだろ」とか「バカバカしい」とか言われるところだろう。

このインタビューを皮切りに、ドリューの関係者のコネを探っていったり、彼女の行きつけのエステの店へ行ったり、たるんだ体を来る日のために引き締めるべくジムへ行ったり、オーディションでドリュー似の女の子を選び、彼女相手にデートの予行練習をしたりと、バカバカしくも涙ぐましくない努力を重ね、25日目にはチャイニーズシアターで行われた『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』のプレミア後のパーティに偽造のパスで潜入。果たして彼はドリューに近づけるのか、そしてデートに誘えるのか!?

と、まぁ、全編こんな調子の軽~いドキュメンタリーである。できればこの映画、「バッカだね~」とか「くっだらねぇな~」とか茶々を入れつつ観たかった。それがこの映画に関しては正しい鑑賞方法に思える。もちろんこれがアメリカの映画館ならできただろうが、所詮日本の映画館だからねぇ…。


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「パプリカ」 [映画(2006)]

オタクが見る夢、どんな夢

アニメには詳しくない。今敏監督のことも、この作品がベネツィア映画祭のコンペティションに出品し、マスコミで取り上げられて知ったくらいだ。海外で知られた、僕の知らないアニメ作家の話題作を観てみたいと単純に思い、夜の最終回に出かけた。劇場はほぼ満員。『時をかける少女』と同じく(『PET BOX』もここ)テアトル新宿であったのだが、アニメを掛けるとこの劇場はいつも大入りだ。

他人の夢に入れる機械を作った研究所員が、その夢を何者かに支配され、お互いの夢が融合し合い破滅に向かっていくという、何とも説明しにくい世界が展開される。面白くはあったのだが、今ひとつ彼らの夢(映画)の中にのめり込めない自分がいた。そしてその距離はいつまでも縮まらず、オタクの研究所員の歪んだ夢を傍観者的な感覚で観ていた。その夢が現実世界に入り込んできても、その現実世界がオタクの幻想上の現実世界にしか思えず、醒めた感覚で眺めていた。作り手は夢が現実世界に入り込んだところでカタルシスをもたらそうとしたと思えるのだが、残念ながらあまり成功していなかった印象だ。

いっそのこと、もっとストーリーを排除し、出鱈目くらいな映像の洪水で観客の脳味噌をぐちゃぐちゃにするくらいの破天荒さがあればもっと面白くなったように思える。また、研究所員数人の中だけで起こる事件というのもスケールを縮めており、大きなパワーに結びつかない。

と、文句ばかり並べてしまったが、映像のセンスは流石に世界で認められているだけのことはあり、この一作だけで今敏という映像作家を判断するのは間違いだろう。過去の作品、これからの作品も注目して観てみたい。


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「トゥモロー・ワールド」 [映画(2006)]

これはまさに拾い物。いや、そこそこヒットしているみたいなので、拾い物という表現は間違っているのかもしれないが、自分的にはそんな感じであった。実はシネコンで『カジノロワイヤル』を観るつもりで出掛けたのだが、思ったよりも随分早く着いてしまい、待ち時間が勿体無かったため、急遽上映時間が迫っていた『トゥモロー・ワールド』に変更したのだった。一応予告編は観ていたのだが、面白そうではあったものの、今ひとつ「どうしても観たい」という気持ちまでいかなかったため見送っていたが、これも何かの機会と思いチケットを買った。

しかし、それは大正解。予想を遥に上回る面白さに唸った。ロンドンを舞台にした近未来SFと言うよりは硬派なシリアスタッチのサスペンスドラマで、ロック魂溢れる快作であった。

ストーリーは2027年、人類は既に18年以上子供が生まれないという危機的な状況にあり、テロが世界中に横行し、地球は荒廃し未来に希望を持てない状況である。ロンドンでは移民を制圧する国家と移民を支援する組織との対立が激しく、テロが頻発していた。主人公のセオ(クライヴ・オーウェン)はある日反政府組織に拉致されアジトに連れて行かれる。そこには別れた妻(ジュリアン・ムーア)が待っており、組織のリーダーとなった彼女に協力を依頼される。始めは拒否していたものの、元妻に未練があるセオは協力を決意。文化大臣のセオの兄から「通行証」を手に入れ、組織に合流する。「通行証」を必要とした理由は移民であるキーという少女を「ヒューマンプロジェクト」という組織に送り届けるため。それは国境を越えた新たな世界を創るべく立ち上がった組織。

セオと元妻にキーと2名で郊外に向かうが、暴徒に止められ元妻は射殺されてしまう。残り4人を乗せた車はアジトに到着するが、そこで驚くべき事実が判明する。何とキーは身篭っていた。そして反政府組織の裏切りも発覚する。彼らはキーを利用しようとしていたのだ。セオはキーを連れてアジトを脱出し、彼の親友(マイケル・ケイン)宅に向かうのだが…。

と、少し複雑なストーリーではあるが、とにかく孤立した彼らが孤立無援の中、体制側と反体制側の双方から逃げる話なのである。困難な状況をどう乗り切るかをドキュメンタリータッチで描いており、アメリカン・ニューシネマのような雰囲気も気に入った。音楽・会話・風景などにロックが直接的・間接的に使われており、これも気に入った。

どうもこの作品、賛否が分かれているようだが、僕は当然「賛」である。だいたいこの映画を「つまらない」「退屈した」なんて言う人間は絶対信じられない。例え僅かでもロック魂が残っている人、サスペンス映画が好きな人には特にお薦めしたい映画である。


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「地下鉄<メトロ>に乗って」 [映画(2006)]

はっきり言って

な映画だった。作り手が何を表現したかったのか。何を伝えたかったのか。あんな結末では納得いかないし、いったいそれまでの出来事は何のためのものだったのか。

この映画も『花田少年史』同様、主人公である息子が反目していた父親を、タイムスリップして過去の父親の生き様を見る事によって理解していくのが物語の柱である。横暴で暴力的な父に反発し、兄の死をきっかけに家を出た息子が大人になり、突然タイムスリップして過去に戻り、兄の死の直前であったり、戦争直後の闇市であったり、父が出征する直前であったりと、実に都合よいタイミングの時代に脈略も無く時を越えて戻っていく。そこに彼の愛人が絡んでいき、意外な展開をしていくのだが、疑問点ばかり残り感動なんてとてもじゃないけど出来ない代物であった。

タイムスリップする事を否定してしまうと、この映画に関して元も子もないので言及しない。起こった事の不思議さを見せる映画ではなく、何らかの力が働いて父の真の姿を見せることが大切であり、その何らかの力は作り手にとってはどうでもよかったのであろう。

まず主人公は兄の死の直前にタイムスリップするのだが、どう考えてもそれを阻止できたように思える。最初は主人公もそのように振舞うのだが、肝心なところで失敗する事になる。しかし死因が分かっていた限りは阻止できていた筈である。

それだけは兄の話で、後は若き日の父親の姿を見ていくことになるのだが、戦前から戦後の闇市まで、必死にたくましく生きていく姿を目の当たりにし、気持ちも変わっていくことになるのだが、その後の家族に対して暴力的で横暴で愛人がいて家にもあまり帰らないような父親を理解し「あなたの息子で幸せでした」などという発言に繋がるとは思えないのだ。もしかしたら昔の日本男児の生き方はこれでいいのだ、ということなのかもしれないが、どうも気に入らないし好きになれない。

それから主人公には愛人がいるのだが、彼女と彼女の母親も物語の重要なキーパーソンなのだが、主人公の愛人のとる行為は恐らく殆どの観客が納得いかなかったのではと思える。まさに全てがオジャンである。作者は彼女にあの行動をさせることで何を訴え伝えたかったのか。

この映画の原作を読んでいないので、そのあたりはしっかりと書かれているのか分からないのだが、もしも忠実に映画にしているのなら、ベストセラーとはいえ原作にも問題があったのではと思える。納得できない事が作品の核になっている。尤も「原作は良かったのに映画は…」ということの方が多いので、問題は映画の作り手にあるのだろう。万が一原作に問題があるのなら、映画にする時に脚色すべき事だろう。

この映画のどこに問題があったのか検証するために原作を読んでみる、なんて行為をするつもりはないし、する気にもなれない。いずれにしても、この秋に多く公開された「ベストセラー小説の映画化」は多々問題があったように思える。原作の力に頼った安直な企画。工夫の無い見せ方。製作者側の理解不足などが感じられた。ベストセラーが映画になる傾向は今後も続くのだろうけど、本当に日本映画はこんな事で良いのか、甚だ疑問である。


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「PETBOX トカゲ飛んだ?」 [映画(2006)]

1時間足らずの中編(短編?)、1週間だけの単館レイトショーと、まさに余程の好き者ではなければ観ないし存在すら知らないだろう『PETBOX』シリーズ6本中の1本である。

と、まぁ書き始めたのだが、この記事を書いている現在の時点から、この映画を劇場で観られる機会はあと4日、つまり1日1回のレイトショーなので4回しか残されていない。多少空しい気もするが、ちょこっとでも目に留まってくれればと思っている。

このシリーズは通常の映画に対して半分の時間という枠と、動物を絡ませるという縛りがかけられており、その制約を与えられた作家はいったい何を考え、どんな見せ方の工夫をするのかを自分なりに考えてみた。「普通の映画の規模(スケール)を縮小し、こじんまりとまとめる」「オチを考えてから、その1点に向けて前半の仕掛けを考える」と、シロート考えではいづれかのタイプになるのではと思うのだが、この映画は前者のタイプであった。それが正解なのか不正解なのか分からないが、僕は後者のタイプが好きである。制約を逆に活かすなら後者であろうし、その方が作家の才気が感じられるからだ。

『トカゲ飛んだ?』は高1の女子高生の初恋にトカゲ(カナヘビ)を絡めたちょこっといい話。主人公の東亜優(ひがし・あゆ とうあ・ゆう×)の魅力と相まって可愛らしい作品になっている。短くシンプルな内容なのでストーリーは割愛するが、彼女が恋する男の子が『カナリア』の石田法嗣でょこっと変なキャラクターがピッタリである。

この映画を観られる機会はあとちょこっとちょこっと時間と心に余裕がある人にちょこっとだけお薦めする。何せちょこっとな時間の割には入場料だけは一人前だから。


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「トンマッコルへようこそ」 [映画(2006)]

「トンマッコルへようこそ」オリジナル・サウンドトラック幾つかのブログで僕も大好きな名作『まぼろしの市街戦』との類似性(悪く言えばパクリ)が書かれていたのを読んで、ならば内容的に優れている作品になっているのではと期待して観に行った。

確かに戦争中に桃源郷とも思える場所に彷徨いこむ設定と知恵遅れの女の子のキャラクターはかなり影響を受けていると思える。さらに言えば村での生活は『刑事ジョン・ブック 目撃者』的だし、村の様子は中央が広場になっている所など『七人の侍』の農村みたいで、同じ黒澤の『』や宮崎駿の雰囲気もある(『ドクタースランプ』のペンギン村みたいでさえある)。

しかし、それがこの映画の価値を貶めるものではない。過去の素晴らしい作品から影響を受けるのは当然であって、それらを上手く吸収してオリジナルの素晴らしい作品に作り上げたパク・クァンヒョン監督の手腕は絶賛に値する。間違いなく今年公開された映画の中で重要な一本である。

物語は朝鮮戦争真っ只中、韓国軍の脱走兵2名(シン・ハギュンら)、北朝鮮人民軍の敗残兵3名(チョン・ジェヨンら)と連合軍のアメリカ人飛行機が墜落して怪我をした飛行士が1名、導かれるようにトンマッコル村に集まる。始めは一触即発であったが、トンマッコル村の素朴でお人好しな人々に囲まれて過しているうちにお互いの気持ちがほぐれ始め、次第に友情が芽生えていく。平和に過ごし始めた6名であったが、行方不明になっている飛行士が撃ち落されたと思った連合軍が動き始め…。

この映画は「願い」の映画なのだと思う。殺伐とした現実の中に非現実の理想郷を提示することでファンタジーを利用して作者の思いを表現している。「どうして人は憎しみ合う必要があるのか」「心を開き合えば簡単に仲良くなれる筈なのに」「理解しあえれば今よりずっと素晴らしい日々が過ごせるのに」そんな願いが伝わってくる。もちろん一番の願いは朝鮮半島の北と南の問題ではあるが、それは地球上全ての国に当てはまる事であろう。

甘っちょろい理想論と言う人がいるのかもしれないが、理想が無ければ何も変わらない。声高にテーマを語らない問題作『トンマッコルへようこそ』はぜひ多くの人に観てもらいたい作品だ。


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「父親たちの星条旗」 [映画(2006)]

恐らく今年一番の期待作、クリント・イーストウッド監督作品の二部作の一本目『父親たちの星条旗』を観た。思えば昨年公開された前作『ミリオンダラー・ベイビー』は、上映終了後も直ぐ席を立てないほどの深い衝撃と感動を与えてくれたのだが、今回はどのような映画を見せてくれるのかと、大きな期待を胸に劇場の座席についた。

戦争を対峙する両方の側から描く―たぶん作家ならチャレンジしてみたいと思う題材であろう。黒澤明が降板した『トラ トラ トラ!』も第二次世界大戦を日米両側から描いた作品になっていたはずだ。それに今回、イーストウッドが挑む。

まずは一本目、アメリカ側のドラマ『父親たちの星条旗』。有名な硫黄島の陥落後に山の頂上にアメリカ国旗を立てようとしている兵士の写真に纏わる話。たまたまその場に居合わせ“2本目”の旗を立てさせられた3人(6人いたのだが、内3人は戦死)が英雄に祭り上げられ、本国に帰還させられ政府の資金調達の道具にされる。式典やイベントに引っ張りまわされる最中、激しい戦いであった硫黄島での出来事が回想される。

この映画の戦場のシーンは壮絶である。今回は製作に回ったスティーブン・スピルバーグ監督作品『プライベート・ライアン』のノルマンディ上陸シーンも凄かったが、こちらも引けを取らない。むしろスピルバーグ作品よりも演出に凝った所がない分、リアリティをより一層感じさせる。隣にいた人間が爆撃により一瞬の内にいなくなる。地面に掘られた穴から銃撃されても相手の姿がどこにあるのか分からず仲間がどんどん倒れていく。

そんな激しい戦いを観ながら、こちらはどんどん複雑な気持ちになっていく。この映画の敵国は日本なのだ。主人公たちを苦しめ、死に至らしめているのは自分の祖父たちなのだ。実は太平洋戦争を扱った作品をまともに観た事が無かった。それは日本が作った映画も、アメリカが作った映画もだ。だからこの映画に対して、どんなスタンスで観たらいいのか分からなかった。これがベトナム戦争を扱った作品であったら、第3者として冷静に観られるのだが、この映画に関しては複雑且つ不思議な感覚でスクリーンに向き合っていた。

映画はそんな戦場での出来事と、写真を撮られたがためにヒーローにされ戦地から呼び寄せられた3人の姿が交互に描かれる。戦争自体がイベントであるかのごとく扱われるアメリカ国内と生死の渕にいる戦場とのギャップ。アメリカ人の持つ楽天的且つ超資本主義的な性質が浮き彫りにされていく。英雄になった3人の中にアメリカ先住民の青年がいるのだが、変わらぬ差別と間違ったヒーロー扱いに耐えられなくなり再び戦地に帰っていく。戦場では人種差別などなく、誰もが同じ立場でいられる唯一の場所なのかもしれない。そんなアメリカの抱える問題点も織り込み、単なる戦争映画ではなくアメリカという国を見つめ直す映画にもなっている。

但し前作の『ミリオンダラー・ベイビー』程の衝撃は無い。画面に繰り広げられる戦闘シーンは物凄いのだが、前作ほどの深い悲しみの感情は響いては来ない。尤も作品の質が違うのだから望むべき事ではないのかもしれない。

いずれにしても2部作の後編『硫黄島からの手紙』を観ない事には、今の段階で書き過ぎない方が良いのかもしれない。2本見て初めてこの二部作に関して見えてくるものがあるのかもしれない。それを抜きにしてもアメリカ人のイーストウッドが戦争相手であった日本軍の話をどう撮ったのか。本音を言えば『父親たちの星条旗』よりもよっぽど興味津々なのである。


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