「君のためなら千回でも」 [映画(2008)]
少年の友情物語と言うよりも、アフガニスタン人である主人公のアミールが辿った半生を描いた作品。友情に心が熱くなるよりもアフガニスタンという国の現実に心が痛む。活気のあった街並みが、ソ連の侵攻とその後の内戦によって荒みきってしまった姿を目の当たりにすると、それが例え映画であったにしても言葉を失ってしまう。リアルタイムでソ連侵攻や収束後の内戦状態、そしてタリバン政権とテレビのニュースで観ていながら、あまり深く理解していなかった自分の無関心さが情けない。いや、そもそもアフガニスタンの位置がどこにあるのかも何となくしか分かっていなかったのだから最早論外と言うべきなのか。
原題は「The Kite Runner」。少年時代のエピソードとして日本で言う喧嘩凧が平和の象徴として描かれている。その少年時代の話として、裕福な主人公・アミールの家で働いていた使用人の息子・ハッサンとの友情が核になっているのだが、アミールはハッサンに友情を感じているのだが、使用人の息子という立場からあくまで主従関係ではないのかという疑問が生まれ、それが苛立ちとなり、最終的には傷つける結果になってしまうのが悲しい。単純に酷い行為とは言い切れない、少年の繊細な感情が痛々しい。
そしてソ連が侵攻してくるのを逃れるために、祖国を捨ててアメリカに移住する。作家になったハッサンは安定した生活を送っているが、一本の電話でアフガニスタンの隣国であるパキスタンへ向かい、そして内戦の続く祖国に変装して侵入する。その目的は…という物語。
ハッサンがアミールとは異なる(おそらく)少数民族というのも物語を複雑にする。難解という事ではなく、正確な理解が難しいのである。ニュアンスとしては分かるが、何でその民族が疎まれているのかは曖昧な理解でしかない。あの辺りの国は夫々民族紛争を抱えてる事が多い。陸続きだとどうしても歴史的にそのような争いが起こってしまうのだろうか。いや、日本だって正しくはあるのかもしれないが、あまり知識も無いままに深く言及する訳にはいかないので止めておこう。
アフガニスタンに平和が戻りますようにと願いつつ、遠い国から見守っていきたいと思う。
原題は「The Kite Runner」。少年時代のエピソードとして日本で言う喧嘩凧が平和の象徴として描かれている。その少年時代の話として、裕福な主人公・アミールの家で働いていた使用人の息子・ハッサンとの友情が核になっているのだが、アミールはハッサンに友情を感じているのだが、使用人の息子という立場からあくまで主従関係ではないのかという疑問が生まれ、それが苛立ちとなり、最終的には傷つける結果になってしまうのが悲しい。単純に酷い行為とは言い切れない、少年の繊細な感情が痛々しい。
そしてソ連が侵攻してくるのを逃れるために、祖国を捨ててアメリカに移住する。作家になったハッサンは安定した生活を送っているが、一本の電話でアフガニスタンの隣国であるパキスタンへ向かい、そして内戦の続く祖国に変装して侵入する。その目的は…という物語。
ハッサンがアミールとは異なる(おそらく)少数民族というのも物語を複雑にする。難解という事ではなく、正確な理解が難しいのである。ニュアンスとしては分かるが、何でその民族が疎まれているのかは曖昧な理解でしかない。あの辺りの国は夫々民族紛争を抱えてる事が多い。陸続きだとどうしても歴史的にそのような争いが起こってしまうのだろうか。いや、日本だって正しくはあるのかもしれないが、あまり知識も無いままに深く言及する訳にはいかないので止めておこう。
アフガニスタンに平和が戻りますようにと願いつつ、遠い国から見守っていきたいと思う。
ポスターやチラシの写真や、綺麗な邦題のイメージで少年の友情の話かと思って観ると痛い映画でした。
アフガニスタンの過去と現在にこれから関心がもてそうです。
by キキ (2008-03-10 07:35)
キキさん、ありがとうございます。
アフガニスタンと言うより、イスラムの国々って、とても遠い存在に思っていましたが、この映画で少し距離が近づいた気がしました。そんな意味でも有意義な映画でした。
by 丹下段平 (2008-03-10 22:36)