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「山形スクリーム」 [映画(2009)]

初めて竹中直人をテレビ番組『お笑いスター誕生』で観た時のことを今でも覚えている。「笑いながら怒る人」「美味そうに食いながら不味いと言う人」や松本清張の形態模写など、それまでの誰とも明らかに異なる発想の芸に衝撃を受けた。そして即ファンになってしまった。それからしばらくは彼がテレビに出演するのを楽しみにしていたが、意外に見られる機会は少なく(気がつかなかっただけかもしれないが…)、彼が主役のレーザーディスクを買ったり、関西ローカル局の番組のビデオを人伝に入手したりして、彼の姿を追った。

それから徐々に竹中直人はお笑いから役者へと活躍の場をシフトしていったが、お笑いの延長線上のような大袈裟な演技は明らかに周りの役者からは浮いており感心しなかった。が、僕が感心しなくても、次第に彼は周防正行の映画やNHKの大河ドラマの主役を務めるようになり、役者として確固たる地位を築いていった。

でも、僕はずっとお笑いの竹中直人をもう一度観たいと思っていた。

『山形スクリーム』は竹中直人が監督を務め、出演もしているホラーコメディ。久しぶりにお笑いの竹中直人が観られそうな予感がした。僕が好きな竹中直人を観られそうな気がした。そんな期待を胸に劇場の椅子に座った。

冒頭、と言うかタイトル前に竹中直人が見せる寸劇に嘗てのお笑いだった頃の彼が蘇り嬉しくなってしまう。どんな面白い映画になるのやらと期待は膨らんだが、本編が始まるとトーンダウン。何せ主役は先生(マイコ)に引率されて山形の片田舎の村にやって来た東京の女子高歴史研究部の女子高生たち(成海璃子・波瑠・紗綾・桐谷美玲)。そこで落武者の幽霊に追いかけ回される展開になるのだが、いかんせん彼女らでは笑いがとれない。彼女らを取り巻く人々が頑張るしかないのだが、これもいささかすべり気味。肝心の竹中直人が出てくると断然に面白いのだが出番が少ないのでガッカリ。

しかし観ているうちにあることに気がついた。それは主役の女子高生たちと行動を共にする役のAKIRAを観ていて思いついたのだが、全ての男のキャラクターが竹中直人的なのである。監督である竹中が他の役者に彼の分身を求めていることに気づいた。しかし到底その域に達することは無理であるため、面白さに繋がらない。つまりこの映画を面白くするためにすべきだったことはひとつしかない。それは

温水洋一以外の男のキャラを全て竹中直人が演じる

ということ。無茶で不可能なこととは思うが、せめて『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズくらいに役を増やして出番を多くしてほしかった。そうすれば絶対もっと面白くなったはず。竹中監督の次回作は、ぜひこのことを検討していただきたいものだが…

竹中直人のLD.JPG


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「ウルトラミラクルラブストーリー」 [映画(2009)]

独創的な作品は嫌いではない、と言うか好きだ。この『ウルトラミラクルラブストーリー』もかなり「きちゃってる」感じがユニークな作品なのだが、楽しむためには作品の出来云々以前のことがある。

主人公の農業を営む青年(松山ケンイチ)は脳に障害があるため、とにかくじっとしていられない。常に落ち着きなく動き回りながら奇声を発したり、目についたものは何でも手に取りばらまいたりと、とにかくこちらの気持ちを逆なでするようなことばかりし続ける。こんな主人公に上映時間120分付き合わなければならないので、よほど忍耐強く心の広い観客しか耐え難いものがある。「イラッ」としたり「ウザッ」と思い始めたらこちらの負けである。後は早くラストシーンを迎えることを祈るばかり。苦行に近いものさえある。

まぁ、早い話僕はそう思ってしまったので、観ているのが辛く感じてしまった。観る側の感情移入を許さない主人公の行動やヒロイン(麻生久美子)のラストシーンでの信じ難い行為まで、予想を裏切る突拍子もない展開を楽しむ以上に「イラッ」とする感情が上回ってしまった。もし、横浜聡子監督の意図が観客を挑発するようなものであったとしたら、それはある意味成功したと言っていいと思うのだが、観客はイライラするためにわざわざ高い入場料を払っているのではないということも感じ取ってほしいものだ。

と、苦言を呈するような文章になってしまったが、発想のユニークさや超個性的な視点が印象的だったことも事実。いつかこの横浜聡子監督は、とてつもなく面白い傑作を創るかもしれないという可能性も予感させてくれた。そのいつかが次の作品なのか、ずっと先の作品なのか、僕の思い過ごしだったのかは現段階では分からないが、取りあえず次回作も観るだろうことは間違いないと思う。

ウルトラミラクルラブストーリー.gif


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「ウォレスとグルミット ベーカリー街の悪夢」 [映画(2009)]

ウォレスとグルミット ザ・コンプリートブック人気クレイ・アニメシリーズ『ウォレスとグルミット』の新作『ベーカリー街の悪夢』。クレイ・アニメは一般的な絵が動くアニメーションとは異なり、立体的な人形(等の造形物)をほんの僅か動かしながら一コマづつ撮影していき、それを映写機にかけると動いて見える撮影法である(多分合ってると思うけど…)。その創られる過程の労力や時間、そして何よりも忍耐力を考えると気が遠くなりそうな作業である。映画は1秒間に24コマ。例え10秒の作品でも相当大変であることは想像がつく。この『ベーカリー街の悪夢』は約30分の作品である。しかも単純な動きではなく、かなり精密で複雑な動きをしているので、どれほど苦労して創られたかを考えると、それだけでもう何も言えなくなってしまう。CGでは出せない凄味。画面からはニック・パーク監督を筆頭としたスタッフの執念さえ滲み出てくる。

しかし、そんな陰の苦労を見せたくて創られた作品ではない。純粋に楽しませたい気持ちで創られた作品である。発明好きでお人好しのウォレスとクールで賢い飼い犬のグルミットのコンビが事件に巻き込まれ、ウォレスの窮地をグルミットが救うというお馴染みのパターンに変わりはない。今回は(も?)ウォレスが惚れた女性が実は…というお話。人間臭いグルミットのとぼけた立ち振る舞いが可笑しい。

併映で過去の作品も観られて大満足。CGでは味わえない感覚を体験してもらいたい。

ウォレスとグルミット.gif


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「サンシャイン・クリーニング」 [映画(2009)]

ちょっとイイ話

って言葉がピッタリくるような作品。地味で淡々とした盛り上がりに欠けるストーリーではあるが、後になって何となくいいものを観た気にさせてくれる。『サンシャイン・クリーニング』はそんな映画である。

小さな町に住むローズ(エイミー・アダムス)は嘗てはチアリーダーで人気者だったが、問題児の息子を抱えるシングルマザーで、清掃員として地味に暮らしている。ローズの妹ノラ(エミリー・ブラント)はウエイトレスの仕事をくびになったばかり。何をやっても上手くいかず、ヤマ師のような父(アラン・アーキン)と同居している。そんなうだつの上がらない姉妹に転機が。ローズの愛人で警察官のマックから事件現場の清掃をすれば高い報酬が得られることを教えてもらい、息子を私学に転校させたいローズは、ノラを誘ってこれを引き受けることに。酷い現場に辟易しながらも、清掃道具店の店長で片腕のウイルソンらのサポートを得ながら、仕事は軌道に乗っていく。しかし…というお話。

製作費の少ない小品ではあるが、全米トップ10に入るスマッシュヒットを飛ばしたらしい。おそらくどこにでもありそうな等身大の物語(アメリカ30代の女性に知り合いもいないのに等身大って書いちゃったけど、多分ってことで)に共感した人が多かったのだろう。社会の底辺にくすぶる姉妹が這い上がろうとするささやかな希望。これまた日の当たらない生活をしている周囲の人々との交流。そんな哀愁漂う人々に対する女流監督のクリスティン・ジェフズの視点は厳しくも温かい。暗くなりがちな素材をカラッと明るいコメディに仕上げた手腕は確かなものだと思え、好感の持てる作品になっている。

しかし、こんなに頻繁に凄惨な事件が起こる町って、いったいどうなっちゃってるんだろう?

サンシャインクリーニング.gif


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「ノウイング」 [映画(2009)]

この映画の感想を一言で言い表すなら

へんなの!

…ってところだろうか。SF映画だと思って観に行ったら…

ホラー?

オカルト?

ミステリー?

パニックもの?

やっぱSFなの?

と、ごった煮状態。いろいろな要素を盛り込みたかったのは分かるけど、何となく収拾がついていない感じがする。まぁ、それもラストで一気に解決(?)するのだが、ヘンな映画という印象は拭えない。この『ノウイング』を観ながら、過去に観たある一本の作品を思い出していた。

丹波哲郎の『大霊界』!

あれほどヘンテコではなかったけど、創り手が「イッちゃってる」感じがするのは共通するところ。おまけに力が入っていることは伝わってくるが、それが空回りしているのも一緒(『大霊界』には敵わないけど)。

ある意味とても面白く興味深い作品ではあった。物語の先が全く読めず、驚愕のラストまで一気に突っ走る(迷走と言ってもいい)。ぜひともあまり先入観を持たずにご覧いただきたい。なので映画の紹介も、ニコラス・ケイジが熱演してた、くらいで詳しいことは書かないで終わりにしたい。

いや、あと一言。地下鉄の脱線事故のシーンは迫力満点で出色の出来。ここだけでも観る価値あり!

ノウイング.gif


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「モンスターVSエイリアン」 [映画(2009)]

モンエイ.jpg最近のアメリカアニメは質が高く、大人の鑑賞にも耐えうる作品が多い。そして、ドリームワークス製作の新作『モンスターVSエイリアン』は…

大人の鑑賞には…ちょっとキビシかった。

結婚式を間近に控えたスーザン(声:リース・ウィザースプーン(字幕版)orベッキー(吹き替え版))。お相手はローカルテレビ局の人気キャスター・デレク。しかし幸せいっぱいのスーザンに突然の悲劇が。落下して来た隕石にぶつかり、そのパワーのお陰で体は見る見るうちに大きくなり、15メートルの巨人になってしまった。軍隊に捕獲されたスーザンは、政府の秘密機関の基地に閉じ込められてしまった。そこで出会ったスライムのような体のボブ(声:吹き替え版はバナナマンの日村勇紀)、人間とゴキブリのあいのこのコックローチ博士、半魚人のミッシング・リンク、そして巨大怪獣のムシザウルス。スーザンもジャイノミカという名前をつけられ、完全にモンスター扱いされてしまいショックを受ける。そんな中、スーザンを巨大化させたクアントニウムを追って、宇宙制服を企むギャラクサーが巨大ロボットを送り込んできた。パニックに陥ったサンフランシスコ。巨大ロボットを破壊すべく、彼らを管理するモンガー将軍(声:字幕版はキーファー・サザーランド)によって、スーザンとモンスターたちが送り込まれたのだが…というお話。

基本的にスーザン以外みんなひょうきんなお間抜けキャラで、悪役のギャラクサーまでこれなもんだから、愛嬌はあって親しみやすいけど、映画としての緊迫感が損なわれている。まぁ、こんなことを書いてもしょうがないのかもしれない。おそらくメインのターゲットは子供なのだろうから。でも大人の映画ファンならパロディとして楽しめるかもしれない。あれやこれやのSF映画からいただいてる箇所が多く、『未知との遭遇』『E.T.』『スターウォーズ』『博士の異常な愛情』等々が散りばめられている。メインのキャラクター達だって昔のB級SF作品の主人公たちが元になっている。ちなみに巨大怪獣ムシザウルスは姿は全然異なるけど、明らかにモスラである。

ところで、この作品は劇場によっては3Dで上映されている。札幌でも3D上映している劇場があったので、そこで観ることにした。3Dの技術はかなり向上しており、凄い立体感に驚いた。しかし基本原理は変わらないのか、例の専用メガネをかけることは昔ながら。いつの日か面倒なメガネを必要としない立体映画が創られてほしいと思うのだが、そうなったら映画は3Dが当たり前になってしまうのかもしれない…が、当分は無理なんだろうなぁ。

モンスターVSエイリアン.gif


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「それでも恋するバルセロナ」 [映画(2009)]

これはウディ・アレン監督作品の記事でいつも書いていることなのだが(『さよなら、さよならハリウッド』『タロットカード殺人事件』の記事参照)、彼が出演していない作品はどうもウディ・アレンの映画を観た気がしなくて困る。特にこの監督に専念した新作『それでも恋するバルセロナ』はウディ・アレン度が低いように感じてしまい、楽しみにしていたのだが物足りなく思えてしまった。

物語はバルセロナに遊びに来たクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)とヴィッキー(レベッカ・ホール)の親友同士がスペイン人の画家(ハビエル・バルデム)と出逢って三角関係に。ヴィッキーは身を引いて婚約者と結婚するも、画家の元妻(ペネロペ・クルス)が現れ、複雑な関係になったまま共同生活が始まり…というもの。

これがウディ・アレン作品じゃなければ結構面白かったと書いたかもしれないが、ウディ・アレンならもうひと捻りほしかった気がする。特にラストはあっさり幕を閉じたのが肩すかし。たいがい皮肉っぽい一撃があるのに今回はなかった。ウディ・アレンも歳をとってあっさりしてきたのかなぁ、と思うといささか寂しい。これも以前書いたけど、ニューヨークを舞台にした監督・主演作をもう一度観たいと願うのは無理な注文なのかなぁ。

それでも恋するバルセロナ.gif


それにしても、今回出演していたスペイン人の二人、ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムが共演していた『ハモンハモン』を観たのはいったい何年前のことだっただろうか。その時はこの二人が共にオスカーを手にするとは考えもしなかった。おそらく当の本人たちも考えていなかっただろうと思うのは余計なお世話なのだろうか。懐かしくなってもう一度観てみたくなったが、レンタルDVDが置いてあるのだろうか。わざわざソフト買うほどじゃないし…。

ハモンハモン前売り.jpg


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「ウィッチマウンテン-地図から消された山-」 [映画(2009)]

この『ウィッチマウンテン-地図から消された山-』は、良くも悪くも「ディズニー映画だよなぁ」と思わせてくれる作品であった。ジャンルとしてはSFなのだが、難しい科学的なものには触れず、ハラハラ、ドキドキもそこそこレベル。安心して楽しめるけど刺激は少なく、観終わって1時間もしたら忘れてしまいそうな無個性で中途半端な作品。

ジャック(ドウェイン・ジョンソン)は昔はワルだったが、今では更生してラスベガスでタクシー運転手をしている。ある日2人の兄妹(アレクサンダー・ルドウィグ、アナソフィア・ロブ)を乗せて長距離ドライブ。しかしその2人は実は宇宙人であった。2人を追う政府の特殊部隊と謎の宇宙生命体、ジャックを追うマフィア。ジャックは追っ手を振り切って2人を宇宙に帰せるのか…というお話。

根本的に映画への期待よりも、若手女優アナソフィア・ロブ(『チャーリーとチョコレート工場』『テラビシアにかける橋』など)への期待がほとんどで観た作品。彼女の今回の役どころは宇宙人。あまり表情を変えない演技であったため、芝居の見せ場はラストのほんの一瞬だけ。期待した割には今回は肩すかしだった。もっともまだバリバリの演技派になる必要もあるまい。ティーンエイジャーの今はアイドル的な扱いで充分。これから先、長い道のりで演技を磨いていけば、いずれは大女優になる器だと確信している。

もっとも私生活で身を持ち崩さなければの話だが…。

ウィッチマウンテン.gif


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「ブッシュ」 [映画(2009)]

最初に結論から書いてしまうけど、この『ブッシュ』はジョージ・W・ブッシュ前アメリカ大統領に余程興味がある人じゃなければ面白くないと思う。

つい最近まで大統領だった人のドラマを曲者のオリバー・ストーン監督が描くとあって、かなり毒のある小馬鹿にしたようなブラック・コメディを期待したのだが、これが至ってまともで普通の撮り方をしているのが意外だった。

テキサスの名門家に生まれたジョージ・W・ブッシュ(ジョシュ・ブローリン)だが、職を転々としながら遊び呆ける日々を過ごしていた。やがて父の大統領選挙の手伝いをし、見事当選。自分も父に目をかけられている弟に対抗すべくテキサス州知事選に出馬し当選。やがて大統領選挙に名乗りを上げ…後はご存知の通り。

名門の家系で厳格な父の下で悩める日々を過ごしたジョージ・W。優秀な弟と比較されて疎まれた彼が、父親に自分を認めてもらいたいともがく姿は『エデンの東』のジェームス・ディーンに近いのかもしれない。しかし案外凡庸な彼は大統領になってしまって迷走を続ける。冒頭の大学での馬鹿騒ぎから『アニマルハウス』のジョン・ベルーシの姿もダブってくる。

と書いていくと面白そうに思えてくるのだが、これで面白くならなかったのだから映画は難しい。もしかしたらアメリカ人が観るのと日本人が観るのとでは受け止め方が大きく変わってくるのかもしれない。アメリカ人なら「なんでこんな男を選んでしまったのだろうか」という後悔や憤りがこみ上げてくるのかもしれない。それから繰り返し挿入されるブッシュがテレビで野球を観ながら食べていたスナック菓子を喉に詰まらせる場面は爆笑のポイントなのかもしれない。おまけに彼が南部のテキサス出身というのも日本人には理解できない微妙なニュアンスであったのかもしれない。いずれにしてもかなりのアメリカ通で政治にも詳しい人じゃないと面白がれない作品であったのだろう。

日本でも太郎氏の映画ができたら観たい?

ブッシュ.gif


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「いけちゃんとぼく」 [映画(2009)]

主人公のヨシオ少年(深澤嵐)が父の死やいじめっ子、いじめられっ子、友達等との交流を通じて大人へと成長を始めるひと夏の物語。以前から書いていることだが「ひと夏もの」にハズレは少ない。この『いけちゃんとぼく』もなかなか良作で、主人公のヨシオを演じた深澤嵐クンの好演が映画を豊かなものにしている。余談だが深澤嵐クン、ベンガルを子供にしたような顔つきで、それも親しみを持てた一因でもある。

タイトルロールの〈いけちゃん〉(声:蒼井優)はヨシオにしか見えない存在で、姿はRPGに出てくるスライムみたいな感じ。常にヨシオの傍にいるものの、手出しはせず(できず?)、たまに相談相手にはなるものの、基本的にはただ見守っているだけの控え目な存在。少年はいけちゃんに頼ることができない分、彼が成長する妨げにはならない。そして次第に大人になっていくにしたがって少年はいけちゃんを必要としなくなっていき、姿も見えなくなっていく。その辺、『魔女の宅急便』で主人公のキキがネコの言葉が聞こえなくなるのと同じ表現である。

僕はこの映画を観ながらいけちゃんは少年の自我が生み出した想像上の存在なのかと考えていた。だからこそ何だかよく分からない曖昧な存在であり、最後まで説明しない方が観終った観客があれやこれやと考えられていいと思っていた。しかし、最後にこのいけちゃんの存在が何かを説明されて、ちょっと違和感を覚えた。こんな謎解きは不必要だったと思え、それが無理やりラブストーリーに仕立てられたような居心地の悪さを感じてしまった。

実は後にパンフを読んで分かったことだが、西原理恵子による原作(絵本)はいけちゃん視点で描かれた物語であったのだが、映画ではヨシオ少年視点で描かれるという変更がなされた。したがってヨシオ少年の成長の物語がクローズアップされることになり、魅力的な少年像になったことは成功であったと思えるのだが、その分、いけちゃんの比重が軽くなったために存在意義も微妙に変化し、いけちゃんの理由づけを語ることが蛇足にさえ感じるようになってしまったように思える。

原作が女性作家で監督は男性。大岡俊彦監督はより共感できる男の子視点にしたのでこのような印象になってしまったのだと思うのだが、観客も男性と女性ではいけちゃんの存在について受け止め方が変わってくるのかもしれない。ちょっと女性でこの作品を観た人に感想を聞いてみたいところだが、どうも観た人がかなり少ない様子。出てる男はガキばっかで、しかもイケメンとは程遠いけど、もうちょっと興味を持ってもらいたい作品なんだけどなぁ。

いけちゃんとぼく.gif


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