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「海と夕日と彼女の涙 ストロベリーフィールズ」 [映画(2006)]

この『海と夕日と彼女の涙 ストロベリーフィールズ』(太田隆文監督)を「好きだ」と言うのには少々照れがある。初恋の相手に告白するような甘酸っぱさ(ハァ?)、そんな感じだ。大林宣彦監督作品『さびしんぼう』を観た時も同じような気持ちを抱いた。この映画を「好きだ」と言うのが何故か恥ずかしかった、そんな感覚が蘇る。

主人公の夏美(佐津川愛美)はいじめられっ子で友達がいない。唯一の楽しみは父の形見の8mmカメラ。ひょんな事で彼女をいじめるグループのリーダーである理沙(芳賀優里亜)、学級委員の美香(東亜優)、そして夏美の3人で、クラス一の暴れん坊少女・マキ(谷村美月)が出場することになった柔道の全国大会へ応援に行くことになる。大会の日、マキと応援の3人を乗せた用務員の車はトラックと衝突し、夏美を残して全員死んでしまう。

天国に向かう階段の途中で、下界の夏美の声を聞いた少女3人は幽霊となり現世に戻ってくる。しかし彼女達の姿が見えるのは夏美だけであった。再会も束の間、死神が現れ、幽霊の3人は死亡時刻から48時間しかこの世に留まれない事を告げる。3人は死亡時刻が異なるため、美香、理沙、マキの順で、この世からいなくなる事が分かる。

与えられた時間は僅かしかない。幽霊3人は想いを遂げる事ができるのか。また夏美は彼女達に思い出を作らせてあげることができるのか…

以上が主なストーリーの発端。これを縦軸とすると、4人それぞれの家庭の話を横軸として、そこに彼女らの兄貴分で元ヤンキーの坊主・鉄男(波岡一喜)、教師(伊藤裕子、並木史朗ら)や理沙の取り巻きが絡み、4人の少女を中心に広がりをみせた物語が展開する。

泣いた、気がついたら泣いていた。ここぞ、という泣き所ではない場面でも泣けてしまった。

途中、4人がばらばらになり、それぞれの思い出の場所、人に会いに行く、回想を交えた台詞なしの場面から、彼女たちの悲しみ、愛惜、後悔といった感情が溢れ出して一気に僕の胸に迫り、知らない内に涙がこぼれた。その後はもう涙が止まらない。彼女たちの痛切な気持ちが伝わっているので、観客(僕)も深い悲しみを抱えたまま、4人と行動を共にするのである。決して仲良くなかった4人が運命共同体となることで芽生えた友情も、僅かな時間で終わりを告げる。花開き損ねた友情…。友達3人のため身を粉にする夏美であったが、運命は容赦ない。最後は生きなくてはならない宿命と託された希望が彼女の糧となる。

近年、この映画ほど深く「生きること」と「死ぬこと」を見つめた映画があっただろうか。これほど魂が揺さぶられる作品に出会えることは、滅多にないことである。主役の少女達の尋常じゃない切迫感は演技を超えたリアリティがあり、切実な気持ちがダイレクトに伝わってくる。この映画の紹介記事にはファンタジーと書かれているが、そんな生易しいものではない。ファンタジーの姿を借りて現実の無常さを突きつけた問題作である。

東京では渋谷のイメージフォーラム1館で、しかも朝10:45から1回限りのモーニングショーと厳しい条件であるが、ぜひ多くの人に観てもらいたい作品である。

 


 

この映画は、キャスト、音楽、映像も本当に素晴らしいのだが、ここまで書くと長編になってしまうので、続きは次回書きます。


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「フラガール」 [映画(2006)]

常磐ハワイアンセンターの話と聞いてしまうと、とても「観たい」とは思わないのだが、割と評判が良い様子なので気が変わり観てみた。僕が行ったワーナーマイカル新百合ヶ丘の夜の回は、平日であったが30人くらいの入り。但し年齢層がとても高く、チケット売り場の窓口ではシルバー割引連発状態。まさに僕のイメージの常磐ハワイアンセンターの客層である。

ストーリーはハワイアンセンターの準備段階から杮落としまでを、ショーガールに焦点を絞って描かれている。それに縮小されていく炭鉱の話が絡み、昭和40年の高度成長期の光と影が描かれ、最後まで退屈せずに観られた。ストーリー展開に関しては、想像の範囲内という印象が強く、とんでもない展開はしない。安心して観られる娯楽作品になっているので、先に書いた高齢の観客も楽しんで観られたと思う。

しかし、その安定感が返って物足りなさを感じさせたのも事実。決して悪いことではないが、予定調和な感じが以前の松竹プログラムピクチャー的で、『寅さん』映画の併映で『釣りバカ』以前の栗山富夫作品っぽい印象を受けた。李相日監督はまだキャリアは比較的浅いものの、既にベテラン監督っぽい力量を感じた。

映画が始まってすぐ、役者の芝居が大袈裟に思え、少し眉を顰めたのだが、皆同じ調子なので次第に慣れてくると、それも気にならなくなり映画に集中できた。途中のフラダンスの練習シーンで、お約束のスローモーションと好みでない音楽に野暮ったさを感じたものの、時代が昭和40年だから垢抜けなくて当然、と自分に言い聞かせて乗り切り、駅のシーンは昔のテレビの青春物(中村雅俊とかが先生役だったあのシリーズ)で何度も観たような感じで、「今さらこんなのやめてくれ~」と言いたかったが、これも堪えると、最後の半ばドキュメンタリーのような素晴らしいダンスシーンが待っていた。

この蒼井優はとても魅力的だ。前半の地味(って程じゃないんだけど)な炭鉱街の娘が一気に花開いたような美しさが見事。それに松雪泰子、富司純子も好演。しずちゃんは元々のキャラクターを活かし存在感で押しているが、逆に彼女から存在感を消すことなど不可能であろう。その煽りを受けて(?)男優陣の影が薄いこと。豊川悦司にしても炭鉱夫には見えないし物足りない。尤も女の映画だから男はどうでもよかったのかも知れないが。

細かいこと言えば不満も結構あるのだが、それには目をつぶって、大らかな気持ちでフラガールたちの活躍を見守ることができれば楽しめる作品になっている。特に女性はかなり共感できる娯楽作品に仕上がっている。


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「トリノ、24時からの恋人たち」 [映画(2006)]

この映画の感想を一言で言うなら

好き。

他には適当な言葉が思い浮かばない。「良かった」でもなく「感動した」でもなく、「好き」しか無いだろう。逆に言えば万人受けはしないと思うので、「好き」「嫌い」ははっきりふたつに分かれるのではなかろうか。なぜならこの映画は

映画オタクのための映画

だからだ。映画ファンではなく、オタクじゃなきゃ厳しいだろう。この映画で引用されているのが映画創世記から、新しくてヌーベルバーグくらいまでで、元ネタが分かる人は相当少ないだろうから。それらがどんな映画かはパンフレットに書いてあるので、この映画を観た人はそちらを読めばいい。割と詳しく書いてある。

幾つかのブログや映画サイトの評を読むと、結構賛否が分かれているけど、だいたいこの映画を批判する人は、ポスターやタイトルから「もっとロマンチックなラヴストーリーのつもりで観に行ったら全然違って退屈だった」と書いている。確かに素晴らしくロマンチックなタイトルではあるが、そもそもこれが誤解を生む原因である。そうならないように僕がタイトルを付けられるならこうする

『映画男』

これなら間違われずに済むだろう。

だいたいこの映画の主人公は、(イタリアの)国立映画博物館の夜警で、超無口でネクラな映画オタク野郎なのだ。このキャラに共感できるか否かがこの映画を好きになれるかの第一関門である。主人公が夜警をしている所にバイト先でトラブルを起こし、警察の追っ手から逃げてきたヒロインを匿ってやることとなり、初めは懇ろになるチャンスがありながら手を出さなかったにも関わらず、結局いかにも映画男らしい愛の告白をするのだが、「やるな」と思うか「まどろっこしい」「暗い奴」と思うかで大違いである。

第二関門は先にも触れたように、国立映画博物館に展示してある(上映されている)映画が何なのか、いかに多くの作品が解るかが鍵だろう。知識があれば画面の端に映っている展示物さえ興味の対象になり飽きることは無い。だいたい主要人物が三角関係になってから、ある映画を観たという話になり、その映画が三角関係の末に最悪な結果となるという会話シーンがあるが、その映画が『突然炎のごとく』であることくらい分からないと厳しいだろう。

だいたいこの映画が上映されている東急文化村ル・シネマは映画男・映画女が行くような劇場である。そこに勘違いして映画を観に行ってしまった非映画男(女)が間違いなのだ。デートならせいぜい渋東シネタワーが適している。いや、それも危険かな。何せ渋谷は映画オタクのアキバみたいな場所なのだから。

 


ここから余談。

会社の同僚で入社2年目のT君は、自他共に認める電車オタク、つまり電車男なのだが、彼が言うにはオタクにも士農工商みたいなランク付けがあるそうで、最下層がアニメやフィギアのオタクで、鉄チャンはその少し上、映画オタクはずーっと上のランクらしい。どうもこのランクは女性受けの順位と思われるのだが、とりあえず悪いイメージじゃなさそうなのでホッとしている(目糞鼻糞という説もあるが)。


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「もしも昨日が選べたら」 [映画(2006)]

タイトルからしてタイムスリップものかと思って観に行ったが、必ずしもそうではなかった。ひょんな事から手に入れたリモコンで、過去を見れたり、嫌な事は早送りできたりと、人生そのものをテレビ(ビデオ)のように扱うことができるようになった男の悲喜劇である。

基本的にこのテのジャンルは好きなのだ(小さい頃から藤子不二雄観てるからか?)。だから本来評価が甘くなるのだが、この映画に関しては期待外れ感が強く、がっかりだ。「これは拾い物だ!」とか書きたかったのだが…。何が気に入らなかったって、全体的に幼稚な内容、演出で、誰でも理解できるように作ってあるのだが深みが無い。ちょっと泣かせる所もあるのだが、ストーリーに工夫が足りず、古典的で手垢に塗れたオチになっているのもいただけない。好きなタイプなだけに残念。

それにしても主人公の父親役で久しぶりに見たヘンリー・ウインクラーがすっかり老けてしまっていたのにビックリ。尤も好きだった『ラブ IN ニューヨーク』(1982)以来見かけなかったのだから、当然と言えば当然なのだが、まるでリモコンで早送りしてしまったかのような印象。まぁ、お元気そうで何よりなのだが、ちょっと淋しかったね。(因みに『ラブ IN ニューヨーク』は『ダ・ヴィンチ・コード』等で有名なロン・ハワードの監督作品で、助演だったマイケル・キートンが一躍有名になったラブコメディ)

 


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「楽日」 [映画(2006)]

2003年ヴェネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞した台湾映画『楽日』、原題は『不散』。

ストーリーはない、に等しい。人が数える程しか入っていない大きな古い映画館で、1回の上映中に起こる出来事を、長回しでダラダラ撮っただけの作品である。出来事と書いたが、実は殆ど出来事などなく、映画の大半は映画を観ている人をただ撮っていたり、劇場係りの足の不自由な女性がゆっくりと階段を上がったりするのを、カメラを回しっぱなしにしただけの作品である。このように書くと身も蓋もないのだが、僕にとっては殆どが無駄な時間に思え、映画としては短い82分間はとても長く感じられた。

でも、こんな映画が評論家受けするんだよな~。カメラの長回しってそんなに凄い事なの? 長回しするだけで芸術度アップ…って、何か間違ってるような気がするんだけど。別に悪いとは思わないし、テクニックの一つではあるんだけど、それが全編、何も起こらないような事で使うのって、やっぱり間違ってると思うんだけど。これだから映画祭の受賞作品って信用できない。

まぁ、こんな感じだから『グエムル』で戦い、勝利した睡魔と、またまた対決。今回は僕の負け。5分くらいやっちまった。でもスクリーンは殆ど同じ状況で、何の支障もなし。

このように古く大きな映画館の日常が映し出され、映画の上映が終わり、誰もいなくなった劇場を約5分間見せられた後、今度は劇場の前に場面は移る。そこに「しばらく休館します」と張り紙。そこで観客(『楽日』の)はこの劇場にとってその日が特別な日であることを知る、

ってのが、作り手の意図じゃないの~!? 邦題からしてネタバレだし、チラシにも書いてあるし、駄目でしょ、それじゃ。最後にそれを見せたかったんじゃないの~ツァイ・ミンリャン監督は。教えちゃ感動(しないけど)半分でしょ。本当に配給会社にはデリカシーが感じられない。

この映画の舞台になったのは、台北にあった福和大戯院で、撮影後実際に取り壊しになり、すでにもう無いらしい。日本でも古い映画館はどんどん閉館になって、シネコンに変わりつつある。特に僕のホームグラウンド(?)新宿も、だいぶ映画館が減ってしまった。まぁ、建て替えて復活する所もあるそうなので、新しく環境の良い映画館ができる事を期待したい。


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「グエムル 漢江の怪物」 [映画(2006)]

気づくべきだった。マスコミが大々的に取り上げたと思ったら、間髪入れず公開した訳に。

アメリカ軍が漢江(ハンガン)に流した薬品によってモンスターが生まれるというのは、古典的なパターンで、アメリカのB級SF(巨大ワニの映画があったような…)や日本で言えばヘドラ(工場の廃液による環境汚染によって生まれた)、その他にもあったような気がする程、ひとつのパターンとなっている設定。それに対するは漢江の川岸にある小さな売店の店番も満足にできない男とその家族。主人公の娘が怪物に浚われ、彼女を取り返そうとする話。

観る前までは結構期待してた作品であった。僕は観ていないが、友人が大絶賛していた『殺人の追憶』のポン・ジュノ監督の新作だったからだ。その監督の新作が、何と! 怪獣映画。しかも韓国で大ヒット! 日本のマスコミも騒然!? となれば観たくもなるってもの。

しかし、すぐにその期待は崩れる。中途半端にコミカルなシーンが緊張感を奪う。主人公にもどこか真剣味が足りない。

アイターッ、外した~。

観ているこちらからも緊張感が奪われ、怪物に喰われた娘が、怪物の巣で生きていたというのもご都合主義に感じられ、主人公の家族が怪物に立ち向かっている最中、こちらは睡魔との闘いに突入。何しろ一度途切れた緊張感はなかなか元に戻らない。

それでも後半の見せ場はある程度楽しめるのだが、…これ以上はネタバレになるのでここまで。

この映画、何か昔の日本映画の雰囲気に似てるな、と感じられ、あれやこれや考えている内に閃いた。

森崎東が怪獣映画作ったら、こんな感じに違いない!

たぶんこれを理解してくれる人は少ないと思うんだけど、結構言えてると思わない?

それにしても、この記事の最初に書いた件だが、結局「大した事無い」という口コミが広がる前に公開しちまえ! って事なんだよね。

 


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「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」 [映画(2006)]

花田少年史 1 (1)実は結構期待している映画だった。「こりゃぁ、泣けるでしょう」と思って観に行った。

で、やはり泣けた。しかし、諸手を挙げて「良かった!」とは言えない残念な部分も多々あり、ちょっと終盤は引いてしまった。尤も良い所も多いので、尚更残念に感じているのだが…。

冒頭のやりとりは正直「何じゃ、こりゃぁ!」な漫画的なやり取り。篠原涼子も主人公の母親というにはリアリティが感じられない。貧乏の設定なのに生活感がない雰囲気だからか。観客動員を考えたキャスティングなんだろうけどミスキャストに感じられ、「ちょっと厳しい映画になりそうだな」と憂鬱になりかけたのも束の間、主人公の少年が車に轢かれたあたりから面白くなっていく。

ストーリーは割愛するが、主人公の友人で父親が死んでしまった少年が、運動会の借り物競争で「お父さん」の札が出てしまい、立ち尽くしてしまうエピソードは無条件に泣けてしまった。あまりにも切なく、その後幽霊になって父親(杉本哲太 イイんだよ彼が!)が登場するところでまた泣けた。この映画の中で、ここが一番泣けたかな。

この映画は原作を読んでいなかったから、親のいない少年が幽霊になった両親に出会うという『異人たちとの夏』的な内容を想像していたのだが全然違った。

少年が幽霊に導かれて両親(特に父)を理解していく話

だった。だから劇場にいた父親世代は皆泣いていた。子供が主人公なのに、主人公が父を理解していく事ではなく、子供に自分達の気持ちが理解されていく、という視点で観ていて感動した様子である。だから賢明にも(?)少なかった若い世代の観客は結構引いていたようにも見えた。父親世代だけど子供がいない俺は感動しながらも案外冷静だった。つまり、この映画は

父親のための映画

と言い切って過言ではあるまい。だから

少年が幽霊に導かれて両親(特に父)の気持ちを理解してくれる話

と言い換えたほうが正しいのかもしれない。

このように父親世代に大きくアピールできたのは、父親役の西村雅彦の好演に拠るところが大きい。人の良さが滲み出ているのは、演技以上に彼自信の持っている素の部分に拠るところが大きいのではないかと思う。実際に会った訳ではないので断定はできないのだが…。ただ残念なのは、元漁師だが漁に出て嵐に遭い親友を死なせてしまい、それ以来漁師を辞めタクシー運転手をしているという設定で、タクシー運転手は板について見えるのだが、どう見ても元漁師には見えない点だ。これは役者の演技力云々ではなく、西村雅彦本人の資質として漁師という職業が合わないからなのではないか。だからエピローグで再び漁師に戻った様子が写し出されるが、「似合ってねぇな~」という印象に留まってしまう。かと言って他の役者の方が良かったのかと言われると考えてしまう。キャスティングって難しいよね。

クライマックスでCGが良くなかったり、それまでいた祖父が急にいなくなっても皆まったく気にしない(観客の俺でも心配してるのに…)等、問題点も多々あるのだが、全般的に好印象な出来ではあるので、機会があったら観てほしい(特に父親世代は)。

 


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「ユナイテッド93」 [映画(2006)]

恐らく今年上映された作品中上位ランクの問題作であろう『ユナイテッド93』を観た。いや、観たというよりは体験したという言葉の方が適切に思える。

2001年9月11日、丁度この事件が起こった頃、僕は東京の場末にある焼肉店に会社の同僚といた。正確に言えば貿易センタービルに飛行機が追突した時間は、その焼肉店を出たか出ようとしていたかくらいの時間帯であった。そして帰宅した時には、既に貿易センタービルは無くなっていた。テレビが伝える映像の凄まじさにより、あまりの衝撃でほろ酔い気分は吹っ飛び、朝方まで繰り返し流れる崩壊の瞬間映像に釘付けになった。

実は恥ずかしい話なのだが、この映画を観る前は貿易センタービルに突っ込んだ飛行機の話だと思っていた。僕は映画を観る前、なるべく先入観無く観たいがために、その映画の情報は殆ど入れないようにしている。新聞の映画評はどのくらい大きく扱われているかと見出しのみに留めている。だからこのような誤解をしたままスクリーンに対峙してしまったのだ。尤も記憶力が良ければ貿易センターに突っ込んだ飛行機の便名を覚えていたかもしれないが、それは僕にとっては無理な話であった。

映画は意外な事にハイジャック犯の犯行前日の様子から始まる。映画の文法からすれば悪役といえる犯人の日常的なシーンからというのは珍しい。『ダーティーハリー』のように犯人から始めても、すぐに凶悪な犯行におよび観客に衝撃を与える、というパターンはあるが、この映画では日常的な風景を淡々と描いている。そこには特に犯罪者を扱うような視点はない。ただ冷静に彼らが映し出されている。

この映画全般に貫かれていることは、過剰な演出を排除し事実に近いと思われる事を冷静な視線で描く事、観客に自分もその場にいるような臨場感を与えるため全編手持ちカメラで撮られている事だ。前者は犯人も被害者も同格に扱われており、むしろ犯人の方が出番は多いくらいだ。後者は割と昔からある古典的な手法ではあるが、この映画を描くためには有効な手段であるだろう。

ストーリーは書く必要が無い。結果は皆知っている。間違っても『エアポート』や『ダイハード』のような奇跡は起こらない。墜落するまでの出来事をできるだけ事実に近いと思われるように、冷静に切り取っているのみだ。この映画を立場が僕より遥により近いアメリカ人は、乗客の勇気をヒロイックに観てしまうかもしれないが、乗客は生き残るために取った極限状態での行為であり、目的地のホワイトハウスに向かう途中で墜落し、アメリカの中枢が守られたのはあくまで結果であり、乗客はホワイトハウスを守るために立ち上がったのではない。

この映画は観る人の立場によっていかようにも見られる映画である。アメリカ人は乗客の立場になって彼らと共に立ち向かっている錯覚を覚えるだろうし、逆にテロリストに近い立場であれば目的地に向かっている途中で乗客の邪魔に会い、志半ばで命を落とした若者の話とも受け止められかねない。そのくらい作り手の感情を排除したドキュメンタリータッチになっているのだ。

したがってこの映画からは製作者サイドの主張やテーマの押し付けは無い。それらは観客に委ねられている。ただ意図としては事件を風化させない目的があったのだろう。この映画を観ることで2001年9月11日の記憶が蘇る。そして、あの事件を最初に知った時に各人が感じた事こそ、この映画のテーマになっているのだと思う。


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「東京フレンズ The Movie」 [映画(2006)]

この映画のタイトルを見て、数年前に台湾旅行した時の事を思い出した。台北空港に着き出迎えのバスに乗ると、現地ガイドから『台北ウォーカー』が手渡された。それをホテルまでの道中、パラパラと捲っていると、テレビ欄の頁である言葉に引っ掛かった。

『東京友好公園』

あまりにもストレートな訳で、それが日本のどのテレビ番組の事なのか直ぐに分かり、一同チョイ受けしたのだった。

以上余談。『東京フレンズ』と『東京友好公園』は一切関係無い。

さて、この映画の感想を書くにあたって、まず一言スッキリするため言わせてほしい。

なんなんだ、この糞映画!

東京フレンズ The Movie ナビゲートエディション広告や前売り券にこう書いてある。

「大ヒットDVDドラマ、待望の映画化!」

このコピーを読んで、このドラマの存在を知らなかった人間はどう思うのだろうか。僕は「DVDのドラマは簡単に作ったのだけど、好評だったので長編にして映画館で上映することにした」と解釈した。

しかし、それは大間違いである事に直ぐ気が付いた。ドラマが始まるとポスターの4人は既に親友で、しかもその内のひとりはニューヨークに行ってしまっており、しばらく出てこない。最初から「あの時は楽しかったね~」なんて調子で懐かしがっている。

おいおい、何が始まってるんだ? もしかして、これって続編なのかよ!?

DVDを観ていない僕は冒頭から置いてけぼりだ。話に乗り損ねてからは、ただただ白々しい話が続く。夢を追いかけている彼女達の想いが心に響いてこない。主要キャスト4人は一応絆があるのかもしれないが、大塚愛が組んでいるバンドや松本莉緒が所属する劇団のメンバーの仲間意識が極めて希薄で、とても夢を追って頑張っている感じが出ていない。

こんな調子だから、退屈になった俺は変なことに気付いてしまった。

大塚愛が老けたら林家パー子になる!!

もう、そこからは最悪である。大塚愛が何をしようと林家パー子がダブって見えてしまい映画どころではない。尤も白々しい展開であり、まともに観ちゃあ居らんなかったってのも事実。期待の『パッチギ ! 』が良かった真木よう子も単なるアバズレ姉ちゃんにしか見えない。

それに脚本も超ご都合主義で酷い。林家パー子が、いや、大塚愛が元カレを追って、NYを当てもなく探して回るのだが、到着した次の日にはあっさり街角で出くわす。NYは行った事がないのでよく分からないのだが、きっとせいぜい綾瀬市くらいの規模なのだろう。

とにかく観る価値全く無しと言って過言じゃないと思うのだが、ただひとつ良かったのは、大塚愛の『ユメクイ』のライブが観られた事か。実はこの歌はお気に入りなのだ(という事で大塚愛ファンの方には数々の無礼を許していただきたい)。

それにしても今日は月曜日。僕が観た最終回の時間帯に、テレビでは奇しくも『東京友好公園』を放映していたはずだ。

こんなことなら『東京フレンズ』より『東京友好公園』を観るべきだったよ!


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「時をかける少女」 [映画(2006)]

高校生の頃、筒井康隆にドップリはまっていた時期がある。過剰なまでのブラックユーモアの虜になり、彼の文庫本になった作品はひとつを除いて全て持っていた。彼が描いた漫画まで持っていたのだから、かなりマニアックなファンだったのではないか。

その頃の僕は、結構へそ曲がりで、好きなタレントは日本のアイドルではなく、ジャクリーン・ビセットのような年上の外人に憧れていた。こんな高校生だったので、当然年下なんかは全く興味の対象外で、小説も子供向け(ジュブナイル)には手を出さなかった。したがって、唯一筒井康隆の作品で読んでいなかったのが『時をかける少女』なのだ。

時をかける少女しかし、当時から映画好きで、『転校生』の大林宣彦監督の新作は期待を胸に劇場で観て、その素晴らしい物語に感動したのだった。それが原田知世主演の『時をかける少女』である。原作を読んでいない僕にとって『時かけ』は大林監督作品の映画であり、それは今も変わっていない。

時をかける少女 オリジナル・サウンドトラックそしてあれから20年以上経った今、『時かけ』はアニメーションとして製作された。ポスターを見て

←これが主人公?

と、かなりの違和感を覚え、きっとつまらないだろうと勝手に思っていたのだが、結構評判が良い様子なので、不安な気持ち半分で劇場に出かけた。

映画が始まってすぐ、これは原作とは別の話なのかと気が付いた。芳山和子(原作の主人公)は主人公(声:仲里依紗)の親戚のおばさんとして登場した。設定は原作を踏襲しているものの、だいぶ違った話になっており、そのためかえって大林版と比べる必要がなくなり素直に映画を観ることができた。原作の世界観は変えていないので、つまらなくなりようが無い。爽やかな楽しめる作品に仕上がっており好感が持てた。

でも、何か足りない…

あ、ラベンダーの香りはど~したんだっ!?

この映画の主人公はラベンダーの香り無しでタイムリープできるのだ。助走をつけて走り、えいっとジャンプすれば過去も未来も星座も…超えられるらしい。

ちょっと不満だゾ! これじゃぁ、変身の時に決めポーズも変身グッズも必要無かった『帰ってきたウルトラマン』くらい物足りないゾ! と思っていたら、芳山和子の本棚に深町君とゴローちゃんと3人で撮った写真の横にさりげなくラベンダーが添えられていた。作り手(細田守監督)のこんな粋な配慮が心憎い。

今年の夏休み映画はロクなのが無いと思っていたが、思わぬ伏兵の登場に嬉しい気持ちで劇場を後にした。

 


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